建築 雑コラム 7
Architecture The s Column
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「CADソフト」
1992年に初めてCADをさわりました、中建築設計事務所がDRA-CADを使っていたので当初はDRA-CADではじめましたが、
操作コマンドの同じ様なマークのアイコンを覚える事がなかなかできません一枚の平面詳細図に3週間もかかりました。
私には越せないハードルの様に高く見えました。
半分あきらめて3か月ほど経って、土木設計をしている友人がDOSで5枚の図面が同時に表示できるBI-CAD Linerを紹介してくれました。
このCADはコマンドが文字で私には理解しやすいCADで使いこなす事が出来ました。
その当時DRA-CADは35万円/台、BI-CAD Linerは18万/台と高価な時代でした。
CAD化するのに最低総額100万ほどする時代でした。(2012.5.31)
1993年末にJW-CADが建築知識別冊にフリーソフトとして添付されました、
JW-CADの公開から日本の設計事務所の多くがCADに移行し始めたと言っても良いと思います。
世間の事務所はJW-CADの事務所が多くなっていくのですが私の事務所は2009年までBI-CAD Linerで図面を書いていました。
JW-CADはDOS版からWINDOWS版に移行し現在になっています。
土木事務所や国交省、大手企業はAutoCADを採用しているケースが多いように思います。
アップルのパソコンを持っている事務所のCADソフトはMiniCADからVectorWorksへと移行するパターンが多かったと思います。
(2012.6.1)
1995年位に私の友人で初期のマッキントシュを持ってMiniCADで図面を書いている人がいました。
マッキントシュは現在のWindowsとよく似てコマンドをクリックすると操作できました。
その当時のDOSは操作の指示を文字で打ち込んでいましたので専門知識がいりました。
初期のマッキントシュ
私Windowsのパソコンを持ったのは1999年でword,excel、インターネットを中心に使い始めました。
基本ソフトがWindows98の時代でその後 ME, XP,Vista,7 と変遷しその都度PC本体もバージョンアップしないと動きが悪くなるように
うまくできているなーといつも感心しました。
CADのソフトも平面図、立面図。断面図など一貫性のあるソフトや、3次元の表現も可能なソフトまで数多く出されています。
しかし私の事務所ではまだ製図版の延長線の汎用CADが現在の状態ではまだ一番使い易い状態です。
私たち建築家の頭の中では現在の3次元CAD以上のイメージを組み立てる事が出来ているのではと思っています。
たぶん私より若い建築家は3次元CADを使いこなして新しい形態をイメージしやすい時代になっていくのだと思っています。
(その時代になったら私も引退かな?)(2012.6.2)
構造の分野もコンピューターで大きく変わってきました。
私が学校で習っていた時代はコンピューターは大学の構造研究室位にしかなく単純な計算にも数時間かかる時代でした。
ですから私たちは授業では計算尺を使っていました、計算尺は正確な数字は出ませんがアナログ的にアバウトにセーフかアウトの判断はできました。
構造の先生は計算尺で3,4回さわって「いけるよ」とか「だめ」とか言ってくれました。
計算尺の次は回転型の計算機、そして電卓と変化しました。
計算尺 回転式計算機
大学の高学年の時にsin,cos,tan,logなど付いた高い電卓を買ってお気に入りで持っていた時期もありました。
今から34年前の、私が24歳の時中建築設計事務所にはオリベッティーのコンピューターが入りました。
ディスプレーが25センチほどで数行の文字しか表示されなく計算も数時間単位でかかっていました。
プリンターもタイプライター式でアルファベットしかなく40センチほどの折りたたみ用紙が延々と打ち出されました。(2012.6.3)
その当時の構造設計家は計算結果をあらかじめ予想して仮定断面を出し予想どうりの計算書に満足して終了していましたが。
最近の構造設計家はコンピューターの計算が早くなったのでとりあえず入れて計算し少しずつ修正して最終結果を出すように変化しています。
コンピューターの進歩によって構造計算は飛躍的に進歩したと思うのですが、姉歯事件以降暗雲の中に入った様に私たち意匠屋から見ると感じます。
あれ以降国交省が認定できたソフトは1本しかなく、その1本も国交省が無理に作らせたとしか思えない品物でそれを使っている構造事務所は私の周りに居ません。(2012.6.4)
私の事務所は外観に関しては模型を使ってチェックしていますが、インナーは私の頭の中のイメージで確認するしかなく他者と共有する事はできません。
3次元CADでこれを表現できるものが最近出てきているのですが入れるタイミングと価格の問題があります。
しかしいずれはこれらのソフトを普段使い、二次元で表現していた物が全て三次元で入力し表現し、もっと行けば材料や色や価格も入力する時代になるかもしれません、私より以前の先輩建築家から私たちの時代はカタログ建築家だと言われたことがあります。すなわちカタログから製品を選択して寄せ集めれば建築ができる時代の建築家を意味しているようです。カタログから物を選択するとその製品の三次元データーが入力される時代も来そうな気がします。
そうなれば今以上に「ものと人」の関係が希薄になっていくのではないかと憂うのは私だけではないと思います。(2012.6.5)
「姉歯事件」
姉歯事件の言葉が出てきましたので、少しこの事件に係る背景と影響を書きたいと思います。画像を入れたコラムにしようと心掛けてきましたが、画像から少し遠ざかるかもしれません。
事件は一級建築士姉歯秀次が構造計算書を偽装した事で耐力のない建築が建ってしまった事実です。
じゃあなぜ姉歯が構造計算書を偽装したかといえば、「手抜きをしたいとか楽して金を儲けたい」とかではなく
鉄筋の少ない構造計算をしないと「干される」からです。(2012.6.6)
少し難しくなりますが、構造計算はあくまでも仮定で成り立っています、地震の揺れを止める柱、壁を設定しますが壁は構造的に有効な壁としてみるか単なる重さの荷重としてみるかによって変わってきます。また計算方法によっても変わってきます。
姉歯事件以前に日経アーキテクチャーの掲載記事で4階建て位の一般的なラーメン構造のRC造のビルを数種類の構造計算ソフトで計算した結果の柱の主筋(縦方向の鉄筋)の仕様と本数が出ていましたが、使用ソフトによって鉄筋量が倍近く違っていました。(2012.6.7)
これを見てびっくりした私は構造設計担当に聞きましたが、どれも正解でこういう結果はあり得るとの事でした。
構造計算はだれがやっても同じ結果が出るものではなく、
仮定の設定の仕方、計算方法、使用ソフトを同じにした時のみ同じ結果が出るものなのです。(2012.6.8)
専門家の私ですら構造ってこんなにアバウト?と思えるのですから素人の方にこの話をすると誤解を生みそうですが、
1000年に1回の規模の東日本大地震で津波以外の被害がこの程度で治まった事は
戦後の建築技術の積み重ねが間違ってはいなかったと私は評しています。
それゆえ、今後は構造感覚と経験に優れた構造建築家を育てなくてはならないと思うのですが事件の結果とられた対策はそれとは反対になっています。
(2012.6.9)
姉歯がなぜ鉄筋の少ない構造計算をしないと「干される」かは、総合経営研究所(総研)に鍵があります。
総研は当初アパートを安く建てるノウハウをフランチャイズで地方の工務店と提携し業績を伸ばしていました。
その考え方は「住み良い環境、近隣との関係」ではなく
「いかに安く建てて、いかに多く儲けるか」 の経済感覚のみで建築を見ていたと思います。
しばらくするとアパートでは儲けれる数字が少ないので、今度はビジネスホテルを安く建て良く儲かるプランをフランチャイズの工務店と一緒に地主に持って行きそれに乗った地主が今回の被害に多くあっています。(以前からのマンション関係も多くありますが)(2012.6.10)
この様な経済主導型の建築はアパート、ビジネスホテルだけではなくマンション、建売住宅、オフィースビル、介護施設など多くあります、
経済的なチェックも必要と思いますがそれのみが突出する状況は、後の世の中に残る建物として疑問符が付くと思いますし第二の姉歯を生む背景になると思います。(2012.6.11)
RC造の建物を造る時普通、一階づつ、コンクリートを打って固まってから上の階の型枠、配筋をしてまたコンクリートを打ちます。
一般的には一階ごとに3週間はかかるのですが、総研のノウハウは1週間から10日で一階を打っていきます。
3週間を1週間で施工すれば人件費だけでもずいぶん安くなるでしょう。
フランチャイズの施工業者からこのハイペースの施工方法を自慢げに聞いたこともあります。
工夫していますが当然無理があります。コンクリートを早く乾かせば当然クラックも発生しやすくなり、
クラックが発生すれば雨漏りや構造的にも問題になります。(2012.6.12)
総研は無理をして問題が起こっていることを知って、この問題を数社の防水業者に相談しています。
私は防水業者からそのような話を伺っていて無理をしては良い建築はできないと思っていました。
当然鉄筋量の少ない構造計算を要求されていたことは想像できますし、数社の構造事務所の競争で鉄筋量の少ない事務所が勝ち残っていく様子も想像できます。
こんな背景ですが超えてはいけない所を超えた姉歯が一番悪いのです! しかし、姉歯を生む背景も、経済主導のみのこの文化にも問題の背景があり、その価値観に染まった私達にも背景の一端がある事を知ってもらいたいと思います。(2012.6.13)
この事件は民間の建築確認機関イーホームズが不動産管理会社(ディベロッパー)ヒューザーのマンションでの確認申請で構造計算書に偽装があることを指摘したことから端を発しました。
マンションを車に例えると 「トヨタの車でブレーキペダルの構造計算で偽装があって時速100kmでの急ブレーキでブレーキペダルが損傷する恐れがある、そのブレーキの構造計算をしたのは姉歯であり、審査をしたのは陸運局です」 という状況だと思います。(2012.6.14)
当然問題解決は車社会では トヨタが行うことは想像できます。
ヒューザーやマスコミは構造計算をした姉歯と審査をした建築確認申請機関イーホームズに責任をかぶせ
ヒューザーの小島は自らを被害者と言いました。
車だったらトヨタはそんなこと言うでしょうか?
不動産建築業界の未成熟な構造が浮き彫りされ見えたような気がしたのは私だけでしょうか?(2012.6.15)
被害にあったマンション購入者は未だ救済されていません、ディベロッパーのヒューザーは設計事務所や確認申請審査機関に責任をかぶせて、倒産しました。
私はPL法を適応してディベロッパーがすべての責任を取って、
ディベロッパーは責任が設計事務所や審査機関にあると思えばディベロッパーがそれぞれに訴訟すべきだと思います。2012.6.16)
ディベロッパーが倒産した時の救済に建物毎に保険に入る制度にする、
また設計事務所にも建物毎に賠償保険に入る制度にしておけば
今後このようなことが起こっても入居者は救われる様になると思います。
また建築確認申請の審査を保険加入が条件なっているようにするべきだと考えます。(2012.6.17)
建築確認申請審査機関は1998年以前は役所のみでかなり厳正に審査されていました、
但し構造に関しては構造計算の詳細まで審査するのではなくあくまでも確認ですからチェック程度でされていました。
(役所の中で構造専門の建築士は少なく全てをチェックするのは無理だと思います)
しかし1998年以降確認申請機関が民営化され民間の審査機関は出資会社がディベロッパーや、ゼネコン、ハウスメーカーなどで
かなり甘く公正な審査が行われていたか疑問が残ります。(現在もこの体制は維持されています)
これら民間の審査機関へは団塊の世代の役人の大量再就職先となっているのが現状です。
そんな中で姉歯の事件が起こりました。(2012.6.18)
建築確認申請はあくまでも建築確認で審査許可ではありません、私は街の中でのルールに当たる集団規定のみを審査機関が審査し
建築単体の構造や居室条件などの単体規定は設計事務所と保険会社にゆだねて責任範囲から外すことが良いと考えています。
しかし姉歯事件でマスコミは審査機関の責任を必要以上に問い詰めたように私は思います。
それは構造を理解できる人材の少ない審査機関の現状を把握せず問い詰めた結果、役人は考えました。(2012.6.19)
民間の構造建築家に構造計算適合判定員という資格を講習会や試験で募って、判定機関という天下り組織をつくり
そこで構造計算を判定されたもののみ確認される制度としたのでした。
この民間の判定員は私たち設計事務所が構造計算してもらっている人と同じ人たちです。
その結果確認申請にものすごく長い時間がかかり、また費用も以前の3倍以上場合によっては10倍を上回る様になりました。
法の施行も準備不足で1年近く建築不況を招く結果となりました。(2012.6.20)
また構造設計を担当する建築士は自らの設計物件、と構造計算適合判定機関での審査物件に責任を負わされる結果となりました。
また大学で構造の研究室に入った人はその時から専門化されていて、以前は一級建築士の試験は法規や、意匠、設備など広範囲でしたので
構造や、設備の専門は一級建築士を持っていない人も多くいました。(専門分野での技量は十分ありましたので私は問題ないと思います)
設備で特に電気設備は建築科ではなく電気科出身者が多く一級建築士の受験資格もないのでほとんど持っていません。
建築は大きくなればなるほどいろんな専門分野の技術が集まってできていますが、そういう現状を把握することもなく国交省は
新しく構造一級建築士、設備一級建築士の資格を創設しそれぞれ一級建築士を持ってから構造、設備の実務に5年携わって受験資格ができる制度にしました。(2012.6.21)
一級建築士の年齢別分布を平成17年(2005)のデーターで見ますと一級建築士登録者数は32万2248人で年代別では
全国で20代は 約3000人
30代は 約4万7000人
40代は 約6万6000人
50代は 約10万1000人
60代は 約10万6000人
となっており構造を専門としている人は4%約1万2000人、設備を専門としている人は1.1%やく3520人となります。
(2012.6.22)
2015年にはこの60代は引退し50代も60歳を超え定年退職世代となります。そうなると単純に20万人は減る可能性が高く
一級建築士登録者が15万人以下になる日が近いのです。
構造一級建築士、設備一級建築士の資格は一級建築士を取ってから構造、設備の実務に5年携わって受験資格ができる制度ですので
最短で30代前半 普通では30代後半で取得可能の資格となっています。努力してそれに見合う報酬があればよいのですがそうではありません。
将来構造設計や設備設計を担う専門家が極端に減少する時代は目に見えています。
国交省は当面構造一級建築士、設備一級建築士の人数を確保するため現況構造、設備に携わる一級建築士に講習制度で許可する事にしました。(2012.6.23)
私の知っている人で構造や、設備の専門ではない方も講習でこの資格を得ています。本当の専門プロが取れる資格ではなく、
プロではない方が資格を持ってその資格で収入を得る? 専門家を育成するという名目で数年の更新制にして更新時に一日の更新講習を義務つけ(こんな講習では実質専門制のレベルアップになると講習を受けるだれも信じていない)更新手数料と講習料で天下り機関がもう一つ増えるという実りない制度が増えました。
また姉歯を生んだ設計事務所を管理しなくてはならないと言う事で設計事務所の建築士は3年に一度定期講習を受けなくてはいけない、また同じように設計事務所を管理する管理建築士は5年ごとの更新時に同じような実りない天下り機関の講習を受ける制度になりました。(2012.6.24)
一級建築士制度は昭和25年に田中角栄が建設大臣の時に作られた制度で、田中角栄が小学校しか出ていないので実務経験があれば小学校出でも受験資格があります。(欧米の建築家制度では大学で5年から6年の勉強をして実務2年で受験資格を得る国が多い)
田中角栄が第一号とよく言われます。
海外では建築家と構造や設備などを担当するエンジニアは区別されていますが、日本の建築士制度は区別されていません。
この制度のひずみを修正するには姉歯事件は良いタイミングだったのですがまったく修正されずに終わりました。(2012.6.25)
最近の理工学部系学生は大学の学士のみではなく大学院へ進学し修士を得る生徒が多くなっています、姉歯以前は大学院の2年を実務に見てもらえたので大学院を出るとすぐ一級建築士の試験が受けれましたが、姉歯以降大学や大学院の授業内容によって受験資格を得れる制度に変更し大学院を出てすぐに受験はできなくなりました。また多くの大学の学科で構造の授業や、実験のない学科は一級の受験資格が無くなりました。
たぶん数年後には一級建築士の受験者数は半減すると私は見ています。(2012.6.26)
姉歯事件以降の制度改革を良くなったという建築士に私は会ったことがありません。
日本の建築は50年遅れる事になり、無駄な作業に費やされる費用はこの国を疲弊する事になる。
これからの若い人が育つ環境を憂います。
建築の国際基準から隔離されて取り残されると思います。(2012.6.27)
本当に役人のみが満足する制度で良いのかと憂います。(役人のみが生きられる世界はソ連の末期やギリシャの現状と一致します。)
私は知多チタ交流でソ連末期のシベリアへ行く機会がありました。そこで見たものはメンテランスの掛けられない橋、道路、金を浪費して資金がなく給料も払えれない自治体、優秀な公務員から逃げ出す状況でした。役人だけが生き残れることはないのです。(2012.6.28)
しかし現在の日本では一般国民の年収平均が430万で上場企業の年収平均が550万と言われる中、地方公務員の年収平均が740万の状態で天下り後は民間で退職金ももらい共済年金と厚生年金も両方もらっている役人を育てるにはいくら税金があっても足りなくなるはずです。
少したまっていることが多く愚痴っぽくなってきたのでこの話題はこれ位にします。(2012.6.29)
若い後輩には 「建築の絶対数は減少傾向ですが、それ以上に一級建築士の減少は10年以内に半減します」
その時点では君たちの仕事が少ないと言う事は無くなると思います。
また建築がゼロになる事は絶対ありません。
日本の若い建築家の能力は世界レベルでかなりハイクラスの現状であると思います、才能のある人は日本を出て世界で勝負しなさい!
現在建築は消費される施設となっていますが、100年200年単位で維持される文化的資産であるべきだと私は考えます。
良き日本の文化的資産を増やす事が私たちの使命だと考え前進しましょう!。(2012.6.30)
「材料」
少し話題を変えてみます。 建築に使われる材料は本当に多くあります。
材料それぞれに特徴があってその特徴をうまく引き出してやる能力も建築家には欠くことのできない能力の一つだと思います。
しばらくこの材料の話をしたいと思っていますがどこからどの様に分類して話そうかと迷っています。(2012.7.1)
構造材と仕上げ材という分類の仕方もありますが、
今回は無機質材料と有機質材料という分類で材料を見てみます。
無機質材料は炭素を含まない材料で、有機質材料は炭素を含む材料を総称します。
分かりにくいのでもう少しわかりやすく言いますと。
有機質材料は生き物が作った材料でかって生きていたもの
無機質材料は生きていない材料
と思ってもらって良いと思います。(2012.7.2)
私は自分で事務所を始めた頃、仕上げ表を書くのに苦労し、一枚書くのに1週間以上かかりました。
一つ一つの材料の見本を取り、さわってみたり、床に置いたあり、立てたり、日に当てたりして、こんな材料なのだと納得して材料名を書きました。
また、床材と壁材を並べてみたりして、これはだめだ、これはこう使おう、と試行錯誤の連続でした。
そうやって自分の使える材料が一つ一つ増えてきました。(2012.7.3)
かっての日本の民家は殆どが有機質の材料で作られています。
茅葺の屋根、柱梁は木、壁は土 で出来ています。 写真は福島県南会津、大内宿の民家です。
大内宿は街道沿いの民家の集落が残っている貴重な集落です。
最近の建物は殆どが無機質の材料で建っています。
写真は名古屋駅近くの名古屋モード学園です。
構造材は鉄で、外壁はガラス、スラブのコンクリートとモダン建築を代表する材料でできています。
全てが無機質材料です。(2012.7.4)
有機質材料で出来た空間で育った子供と、無機質材料で出来た空間で育った子供と私は同じ結果になるとは思いません。
機能的にはどちらの材料でも良いと思いますが、
物と人間との間にあるメンタルな部分でこの二つの材料は大きく違いが出るように思うのは私だけであろうか?(2012.7.5)
私は茅葺の民家がとても好きです。日本の家というと瓦屋根とよく言われますが私は日本の気候には茅葺屋根が最適だと思っています。
夏は涼しく、冬もあたたかくなります。瓦に比べると断熱効果は抜群です。
ただ家が密集してくると防火上の問題が出てきます。(2012.7.6)
瓦葺き屋根の歴史は江戸時代江戸の大火事が何度も繰り返し江戸中期に江戸の町屋の屋根を瓦で葺く事と御触れが出てからですから
300年前でそれ以前は江戸でも民家は茅葺、板葺の屋根となります。
地方の農村では戦前までは多く残っていました。
(2012.7.7)
屋根の形は地方によって特色があってそれぞれの地方の生活に根差した形となっている。
昔の民家の材料のほとんどはその土地の周りの材料を使ってつくられる。
茅葺も集落の萱場で毎年取り集めたものを順番に結によって葺き替えられたそうです。
農村集落の共同体があって維持された材料だと思います(2012.7.8)
茅(カヤ)は総称でカヤという植物はなくススキ、ヨシ、オギ、カルカヤなどをいいます。
何層も重ねて葺いていきます、隙間だらけですから屋根勾配は10/10以上の急勾配になります、
しかし雨が降っても濡れているカヤは表面から5p位までで後は乾いているそうです。(2012.7.9)
また土壁の土は田んぼの底に溜まった土に藁を混ぜ発酵させ繊維質のみ土に残して粘りを出したものを使っていた。
現在よく使われる砂に粘土を混ぜた泥コンとは全く違うもので農薬を使わない農業に根差した材料で
その当時はどこにでもあったのだが今では無くなった材料と私は思っている。
本当の土壁を造りたければ昭和以前の家を壊した時に出る土を保存して使うしかないと思います。(2012.7.10)
畳の芯に使う畳床も以前は稲わらでしたが、農薬を使いコンバインを使う様になって畳床となる稲わらも無くなりました。
かっての農薬や化学肥料を使わない時代の民家は近くの農地にある材料で出来るものばかりでその当時は殆どタダの材料ばかりでした。
そして全てのものが今いうサスティブナルなものばかりです。
現在これと同じ材料を求めればとても高価なものになります。(2012.7.11)
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