建築 雑コラム 17
Architecture The s Column
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「スペインの建築」
昨年5月にスペインへガウディーとミースファンデルローエの建築が観たくて行ってきました。
現在のスペインは失業率が高く国家破綻も心配されていて、少し治安に心配を持っていましたが、行った都市バルセロナ、ビルバオ、グラナダ
では思ったほど治安は悪くなく、ホームレスも見受けられなかった。(2014.1.1)
現在は斜陽しているが、かって16世紀には世界の覇権国家で現在のアメリカ、メキシコ、中南米一体、フィリピン、グアム、マリアナ諸島、
イタリアの半分、ドイツ、フランスの一部、ベルギールクセンブルグ、オランダを領地としていた。(2014.1.2)
覇権のきっかけはコロンブスに始まる航海時代でアメリカ大陸で現地の原住民を奴隷とし金や銀を採掘させその富が覇権の大元となっている。
1776年のアメリカ独立後南北アメリカ大陸の植民地が独立し衰退していく。
(2014.1.3)
今回訪問したバルセロナはスペインの中でも独特な言語を持ち独立運動もあるカタルーニヤ州の州都で比較的経済状態が良い地域でもある。
またビルバオも同様に自治権を持つバスク地域でここも独立運動が起こっている。どちらもピレネー山脈を越えるとフランスに辿り着く。(2014.1.4)
バルセロナのホテルは伊東豊雄の設計した
ポルタ・フィラ・ホテルに泊まった空港と都市中心部との中間にある郊外にできた
フィラ・バルセロナのエキビジションホール(伊東豊雄設計)の前にある, 周りは近代的な高層ビルが並ぶエリアにある。
(地下鉄EuropaFira駅より徒歩5分)(2014.1.5)
ポルタ・フィラ・ホテル(左の建物)右のオフィースビルも伊東豊雄設計 ポルタ・フィラ・ホテル客室コア廻りがすりガラスでシンプルにまとめられている
(2014.1.6)
ガウディーを意識して不定形に凸凹した曲線の建物だが、「曲線=ガウディー」ではないと今回ガウディーの建築を観て私は思った。
外壁は赤いスチールパイプで囲われているが、室内から見たパイプの納まりは雑で破綻していたが、室内環境は明るく快適であった。
バルセロナでなく新宿に建っていても不思議ではない、やはりこれがモダニズム建築なのであろう!(2014.1.7)
さて、アントニオ・ガウディー(1852〜1926)はバルセロナの南にあるレウス出身で父方、母方共銅細工職人でガウディーの建物に多くの金属細工が
「いい仕事してますね!」というレベルで多く使われている事にうなずけます。
アントニオ・ガウディー(1852〜1926)(2014.1.8)
ガウディーはバルセロナの学校で建築を学び1878年に建築家の資格を取る、その後パリ万博で手袋のショーケースを設計しそれを見た
エウセビオ・グエルがガウディーの才能を認めその後40年間パトロンとしてガウディーを支え続けた。(2014.1.9)
エウセビオ・グエルはバルセロナの繊維業を営む実業家でまた政治家でもあった。
グエル家は父親のジョアン・グエルがキューバにて植民地貿易で財をなし、バルセロナに戻って多様な事業を起こしている。
(スペインらしい話である)(2014.1.10)
ガウディーの代表作は何と言っても、まだ建設途中のサクラダファミリア教会です。最初は建設に300年かかると言われていましたが、
世界中から多くの見学者が来て入場料収入の助けもあって工事が加速し、没後100年の2026年に竣工すると言われている。
サクラダファミリア教会 (2014.1.11)
サクラダファミリア教会は大変込みますので朝一番で入場券もインターネットで購入しておくことをお勧めします。
(チケット購入ページ)
現地で購入する場合一時間以上並びます。
写真の右の棟にエレベーターが設置されています。チケットはBasilica visit + Audio Guide + Towersのチケットをお勧めします。
(地下鉄 L5 Sakurada Familia駅) 上記チケットには日本語オーディオガイドも付いています。(2014.1.12)
サクラダファミリアはカトリック系の教会で内部に入ると森の中に居る様に感じます。そんな意味ではゴシックの教会に近いと思います。
サクラダファミリア内部(2014.1.13)
サクラダファミリア天井
まだ中央の棟が完成していませんので中央に明りが漏れていませんが、竣工時は天井一面に明りが漏れるようになるのではと思います。(右側の様に)
ガウディーの時代はフランスのアールヌーボーと同じ様にスペインではモデルニズモがはやり、アールヌーボーと同じ様に植物をモチーフにしたデザインが特徴です。(2014.1.14)
ですからガウディーが突然に出てきたわけではなく、流れの中から生まれた天才だと思います。
ガウディーのデザインは植物や爬虫類などの形態を素直に映しています。
木の根から発想されたサクラダファミリアの柱脚部分のデザイン (力学的にも合理性がある)(2014.1.15)
またガウディーは細部まで徹底的にデザインしています。(ディティールに破綻が無い)
サクラダファミリアは力学的に非常に安定した形態をしています。ガウディーは紐に錘を付けできた形状を逆さにしてこの建物の形状を決定しました。
まさに軸線状に力が流れて安定した形状です。
ガウディーが実験した錘をぶら下げたもの(2014.1.16)
ガウディーの建築はデザイン主体と思われがちですが、非常に合理性があって私はガウディーは合理主義者であったと思います。
2026年(没後100年)の竣工時に再び見に行きたいと願っています。(2014.1.17)
サクラダファミリア教会はガウディーの初期からたずさわり、最晩年に至った一生を掛けた作品です、
ガウディーを理解するためにこれからは若い時代の作品から紹介します。(2014.1.18)
ガウディーは31歳の時の1883年にサクラダファミリアの建築家に初代建築家フランシスコ・ビジャールの後を継いで任命された。
サクラダファミリアはガウディーにとって一生係わった建築になるその傍ら、ガウディーは世俗的な仕事は断り、サクラダファミリアと、パトロンのエウセビ・グエルに
関係する仕事のみで一生を終えた建築家で20世紀の建築家の仕事の仕方との違いが見て取れる。(2014.1.19)
私が見てきた建築で初期のものはグエル別邸(守衛小屋、厩舎)1885年で、パトロン グエルと初めてした仕事になる。
入口門扉のドラゴンがガウディーらしい。
グエル別邸 ドラゴンの門扉(2014.1.20)
搭部にタイルの破片が貼ってある。(2014.1.21)
モデルニズモの時代の様式の中にガウディーのボキャブラリーが少しずつ点在する。
あいにく内部見学はできなかったが、作品集からの厩舎の放物線アーチの空間は後のカサ・ミラの最上階の空間に繋がる。
ガウディーの建築は外観のイメージが強いが、内部空間がとても良く人間的な暖かさがある。(2014.1.22)
厩舎(現在ガウディー協会本部)の内部(作品集より)(2014.1.23)
同時代のモデルニスモの建築を少し紹介します。
ドメネク・イ・モンタネールのカタルーニア音楽堂 内部がとても良いらしいのですが次回コンサートを聴きに行く事にします。
地下鉄(L1 Urquinaona)
カタルーニヤ音楽堂コンサートの予約もできる
(ドメネク・イ・モンタネール)(2014.1.24)
アマトリエ邸(ジョゼップ・プッチ・カダファルク)右隣がカサ・バトリョ(ガウディー)左隣はレオ・モレラ邸(ドメネク・イ・モンタネール)
アールヌーボーとも違う華やかさがあります。(2014.1.25)
ガウディーに戻って、パトロン、エウセビ・グエルの住宅と言うよりむしろ宮殿に近く、この建物の中心は演奏会を催せる広間でパイプオルガンまである
豪華な建物
グエル邸(地下鉄 L3 Liceu)です。
グエル邸エントランス、左右にある門扉と中央のカタルーニアの紋章をデザインした鉄細工(2014.1.26)
この建物はマクドナルドのマークを連想する二連の放物線アーチが各所に使われている。(マグドナルドの方が時代的には後になるのだが)
地下の馬小屋と、食料品を納めるスペース。 この建物がレンガ造だと認識できる。(2014.1.27)
二階裏庭にある外付ブラインドと上階のバルコニーを連続でデザインされたもの ブラインドを内側から見る(通風が取れるよう工夫されている)
ガウディーの住宅は通風、採光、プライバシーに繊細に対応、工夫されている。(2014.1.28)
広間 中二階は楽団用の部屋となっている。 広間 反対側にはパイプオルガンがある。
この広間で演奏会や舞踏会、パーティーなど行われていた、建材もチークや金箔など贅の限りを尽くした空間です。2014.1.29)
広間 天井見上げ
天井には六角形の開口から漏れる光が星の様である。(アルハンブラにもこの様な天井があるのでイスラム建築の影響と観れる)
グエルの娘の一人は有名な音楽家になっている。(2014.1.30)
屋上 暖炉の煙突をきのこぽっくデザインしている。(2014.1.31)
最上階の左上トップライトのある部屋 トップライトの詳細と、ステンドグラスを通して隣部屋に採光を工夫している。
グエル邸 1887年 (地下鉄 L3 Liceu )日本語オーディオガイドは入場料に含まれている(2014.2.1)
次に1900年に完成したカーサ・カルペでこの住宅はバルセロナ市の第一回最優秀建築賞を受賞している。
ガウディーにしては控えめなファサードのデザインですが、この後に続くカーサ・バトリョへのデザイン的要素は各所に見受けられる。
カーサ・カルペ外装は花崗岩 バルコニー部分詳細(2014.2.2)
複合建築で一階はグエルの友人カルペ氏の事業用、2階にカルペ氏の住居、3階以上は賃貸住居として使われてた。
現在は中に入る事が出来なかったが、カーサ、バトリョやミラの様に観光客の見学入場料で維持されていく様になってほしい。
(現在も賃貸住宅として人が住んでいるそうです、また一階には有名なレストランがあってそこで食事をするとガウディーの内装が見えたそうですが、
私の行った時は閉鎖されていました)(2014.2.3)
建物の中心にトップライトで採光された、エレベーターを囲む階段を活かして、各部屋に採光と通風を工夫をしている。
この方法は後のカーサ・バトリョ、カーサ・ミラでより展開されていく。
カーサ・カルペ エレベーターを囲む階段 (作品集より)
カーサ・カルペ (地下鉄 L1 Urquinaona) (2014.2.4)
次はミラーリュエス邸の門 1902年です。
ミラーリュエス邸の門 (2014.2.5)
ミラーリュエス邸の門 (地下鉄 L3 Maria Cristina) は昔農場の門だったそうですが、現在は写真の様な中層マンションが建っています。
門はガウディーの好きなドラゴンが這っている少しグロテスクな迫力のある門です。
「竜の門」と呼ばれているそうです。門の左下にカーネルオジサン風の銅像があって、よく見るとガウディーぽい。(2014.2.6)
次に1900年〜1914年にかけて建てられた
グエル公園(地下鉄 L3 Lesseps)を紹介します、
グエルと、ガウディーはバルセロナの都心から少し離れた北の丘に庭園都市を創ろうと宅地を開発しガウディーも1906年に住宅をこの中に造り
生活をしていた。
グエル公園内 歩道の下 (2014.2.7)
ガウディーが住んでいた自邸
ガウディーの自邸はガウディーらしくない建物でピンクの外壁に白いモールの窓廻りで乙女チックな建物でガウディーもこんな所があるのか?
と疑問を持っていました。(2014.2.8)
開放的な見晴らしの良いリビング ガウディーのベット(2014.2.9)
旅行後作品集で調べていましたら、この夢の庭園都市は評判が悪く売れなく、ガウディーの住んでいたこの家はモデルハウスとして建てられたもので
売れないのでガウディーが住んだ、(だからガウディーの自邸と呼ぶにふさわしくなく、ガウディーらしくない)(2014.2.10)
この開発地域では、これ以外にもう一軒と、グエルの住宅しか建たなかったそうで結局バルセロナ市が買い取って公園となった経緯が書いてありました。
売れなかった結果公園となり、多くのバルセロナ市民の憩いの場となり、また世界中から観光客の集まる場所になったのは少し皮肉な感じもします。
公園の中心にある観光写真でよく見かける空中広場
空中広場(2014.2.11)
この下には巨大な貯水タンクがあってこの空中広場は雨水を集めるロートの役目で作られている。
空中広場側面
グエル公園(地下鉄 L3 Lesseps)は 私は評判ほど関心はしませんでした。(2014.2.12)
バルセロナの中心に近いグラシア通りに1907年に建てられた
カサ・バトリョ(地下鉄 L2,L4 Passeig de Gracia)は
前にモデルニズモの建築で紹介したアマトリエ邸(ジョゼップ・プッチ・カダファルク)の右隣にあります。
後で知ったのですがこの住宅新築ではなく改装をガウディーがしたそうです。改装でここまでできるのだと改めて感銘しました。
2005年に世界遺産として登録されました。
(
カサ・バトリョ 2階部分はステンドグラスの広間 外壁と、バルコニー(2014.2.13)
この建物は「骨の家」とあだ名が付けられていますが、バルコニーのデザインが爬虫類の骨をイメージさせ、また二階の細い柱も骨っぽい。
この細い柱は構造的な物ではなく意匠的な物で、改装と言う制約から付加されたデザインと思われる。(2014.2.14)
しかし薄いグレーを基調にした上に緑、青、茶色、オレンジなどのタイル片があたかも印象派のモネの絵を思い浮かばせる。時代的にも一致するので
影響はあるのだろう。そのキャンバスの様な外壁に爬虫類の頭蓋骨っぽいバルコニー(鋳鉄製で象牙色に塗装され、奥の手摺子はフラットバーを加工し金色の塗装がしてある)強烈なデザインである。
入場料は20ユーロほどしますが、内部空間がとても良く、日本語オーディオも付いていますので高いけど必見です。(2014.2.15)
またこの入場料でこの建物がメンテランスされていると聞くとこういうシステムで建築は維持されていくのが良い方法だと思いました。
2階のバトリョ家への専用階段手すりが龍のデザインになっている。(2014.2.16)
2階広間 外から見るとそれ程開放的に見えないが中から見ると明るく開放的
窓も開閉でき風通しも良く考えられている。(2014.2.17)
中庭とエレベーターを囲む階段室。中庭のタイルはブルーの色で下の階に行くほど薄い色になり、窓の面積も大きくなっていく。(2014.2.18)
連続アーチの最上階通路 ガウディーは最上階に連続アーチを使う事が多くここでは洗濯干し場などに使われている。
(2014.2.19)
ガウディーの屋上はおとぎの国の様だ 煙突を集合させ,きのこの様にタイルを貼る。ガウディーのボキャブラリー
(2014.2.20)
次にバルセロナの郊外にある、
コロニア・グエル教会(カタルーニヤ鉄道S4,S8でColonia Guell)を紹介します。
この教会へは郊外電車で30分ほどの距離にあります、やはりグエルの関係の繊維工場を中心とした街でこの町に付属する教会だと思われます。
駅から足跡のマークに沿って10分ほど歩くと、受付の建物があって、教会はそこからまた5分位の所にあります。
1898年から着手して1914年にこのプロジェクトから手を引いて建物は地下礼拝堂のみ完成し、教会本体は創られずに終わっている。
しかしここで試された多くの経験がサクラダファミリア教会に受け継がれていっていると思われます。(2014.2.21)
コロニア・グエル教会 地下聖堂入口 柱は煉瓦積(2014.2.22)
地下聖堂内部 玄武岩の傾いた柱 とリブボールトのレンガ天井(2014.2.23)
煉瓦を積み上げた外壁とステンドガラスの開口廻りには緑、黒、青のタイル片が貼られている。(2014.2.24)
今回見学したガウディーの建物でサクラダファミリアの次に感心したのは
カサ・ミラ (ラ・ペドレラ、La・Pedrera)(地下鉄 L5 DIagonal) です。
ここも入場に1時間ほど並びますので事前にチケットをインターネットで予約された方が良いと思います。
この建物は地下に街で初めての自動車駐車場があり、1階は商業施設、中二階にミラ氏の執務室、2階がミラ氏の住居、
その上4フロアーが賃貸住居で最上階は洗濯室で構成されている。
1984年に世界遺産として登録されている。
カサ・ミラ(1906〜1912) (2014.2.25)
石切り場と言われた外壁御影石とて鉄とガラスのバルコニー 地下駐車場に入る通路の門扉 (2014.2.26)
中庭 二つの中庭のある8の字プラン (2014.2.27)
このお建物の見学はまずエレベーターで屋上に上がりそこから下の階へ降りて見学となる。
カサ・バトリョからの屋上の進化系で凹凸のある おとぎの国です。(2014.2.28)
ル・コルビュジェの屋上庭園(さびれている物が多い)よりガウディーの屋上おとぎの国の方がずっとおもしろい。
最上階 洗濯場 煉瓦の連続アーチによって凹凸のある空間が続く。(2014.3.1)
最上階連続アーチの模型 連続アーチのイメージの基となっている爬虫類の骨 (2014.3.2)
構造模型 御影石の柱、頑丈なレンガ、金属製(たぶん鉄)の梁で構成されている。
構造模型で分かる様に各階の内部はラーメン構造ぽく創られて内部に構造壁はないので模様替えがし易くなっている。
これはル・コルビュジェの「自由な平面」と同じ考えである。(2014.3.3)
賃貸住宅の内部天井も波紋のように波打っている。
波打った天井 キッチンの流し台(2014.3.4)
キッチンのコンロ バス、洗面、トイレ(2014.3.5)
アントニオ・ガウディー(1852〜1926)はル・コルビュジェ(1887〜1965)の35年ほど前を歩いた建築家ですが、直線のない形態からモダニズムを
感じられないかもしれないが、印籠であるパルテノンの柱はどこにもなく、建てられた住宅は近代都市が必要とした、駐車場付集合住宅であったり、
自由な平面を生み出す構造や、屋上庭園などル・コルビュジェに繋がる要素を多く持つ。(2014.3.6)
住宅に関してはむしろル・コルビュジェの住宅よりアントニオ・ガウディーの住宅の方が私は生活しやすい様に感じた。
ガウディーは徹底した合理主義者で、より生活しやすい空間になる様工夫し、試行錯誤した蓄積があふれ出している。
私自身ガウディーの建物を見るまでは彼を、異端視的に見ていた所があったが、最後の形になる部分で直線ではなく自然からの線で形造られている
のみの違いが理解できたように思う。ただその密度は濃厚であった。(2014.3.7)
今回もう一つどうしても見ておきたい建物が、ミース・ファン・デル・ローエ(1886〜1969)のバルセロナパビリオンでした。
ミース・ファン・デル・ローエはコルビュジェと同じ年代ですが、コルビュジェ以上に直線のデザインでガウディーの対局の様な存在です。
鉄とガラスをとてもうまく使います。(2014.3.8)
バルセロナパビリオン(2014.3.9)
この建築は1929年に行われたバルセロナ万博の時ドイツのパビリオンとして建てられた建築で池を囲んで右のメインの建物と左奥にあるショップで構成されている。
その当時ではどれほど斬新で未来的な建築に見られたか予想が付く。
フラットな屋根スラブとガラスと大理石の壁で構成されている(2014.3.10)
左奥のショップ(2014.3.11)
非常に洗練されてモダンを感じる建物ですが、ガウディーと比べてこれほど人気がなく見学者が少ないのには驚いた。
私たち建築家から見ると同じほど価値がある建物なのですが、一般の方から見たらこれほどの格差があるのだと痛感しました。
この建物ステンレスの柱とガラスのスクリーンに目が行きますが、大理石の床と壁も重要な要素です。
ミース・ファン・デル・ローエの父親は石工なのでミースは石の取り扱いに慣れています。床のトラバーチン、深緑の大理石の壁と、橙色の大理石の壁
を並べています。(2014.3.12)
内部 大理石の壁(2014.3.13)
よく見ると柱の位置と壁の位置が微妙にずれています。
柱とパーティションの壁のずれ Sanaaのバルセロナパビリオン模型より スクリーンと柱、壁の関係中央の壁のみ橙色の大理石
(2014.3.14)
壁が多く配置されているので、ステンレスの柱は無くても持つのではと思いました、同様な事をフランク・ロイド・ライトがこの建物を見て言っていたそうです。
だが、ミースは何か意図があってわざと柱の位置と壁の位置をずらしたような気がします。もう少し勉強してみます。(2014.3.15)
Sanaaや谷口吉生の建築はミースからの発展系で私たちのモダニズムの多くのデザイン要素はここに原点があるようにも思えました。
しかし、この人気のなさは、原点を疑ってみる必要があるのかも知れない。(2014.3.16)
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