建築 雑コラム 28
Architecture The s Column
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ル・コルビュジェ 2
ル・コルビュジェとインドとの関係は1950年から始まる。
インド北部のパンジャブ州はパキスタンがインドから分離した時にパンジャブ州も分離して新たな州都を創る事になった。
インドの初代首相ジャワハルラール・ネールはアメリカの建築家アルバート・マイヤーとポーランドの建築家マシュー・ノヴィッキに
パンジャブ州の新たな州都のマスタープランを依頼したが、ノヴィッキが事故で亡くなったので、
1950年にル・コルビュジェに計画が引き継がれる事からはじまります。
新しい州都を作る計画や、多くの建物は従兄弟のピエール・ジャンヌレやイギリスの都市計画家マックスウェル・フライなどとの協力によって成しえた
街つくりで、ユニティ・マルセイユの街=建築 の延長線上にあった「輝く都市」を実現する絶好の機会を得た事になる。(2016.3.10)
チャンディガール 地図(2016.3.11)
地図最上部の北東部に人口湖が水がめとして造られる、その西(地図上部中央)に裁判所、その西に議事堂、その西に庁舎が建てられている。
近代の多くの都市計画は失敗に終わり、その都市の住民からは批判めいた感想が述べられることが多いが、
このチャンディガールに棲む住民はこの都市を誇りに持っている様な印象を持っています。
まずは1953年(昭和28年) (66歳) に 北東の人口湖に造られたボートクラブが完成します。
ボートクラブ (2016.3.12)
人口湖で楽しむル・コルビュジェと従兄弟ピエール・ジャンヌレ(2016.3.13)
1955年 (昭和30年) (68歳) ロンシャンの礼拝堂 が完成する。
ロンシャンの礼拝堂(7025 Ronchamp Haut-Saone France))はスイスとの国境近くベルフォールの近郊にあります、パリからTGVで日帰りも可能
ですが、早朝の人の少ない時間帯を私はお勧めしますので、Berfort‐Montbeliard駅 近くのホテルで一泊され
ホテルからタクシーで行かれると良いでしょう。
丘の上に建つ礼拝堂は遠くから塔部が見る事が出来ます。
2011年にレンゾピアノがビジターセンターを設計し、アプローチは駐車場からこのビジターセンターを経て礼拝堂へと進むことになる。
駐車場からビジターセンター (2016.3.14)
ビジターセンターからのスロープ(2016.3.15)
スロープを上って行くと礼拝堂が見えてくる(2016.3.17)
もう少し上ると右に寄宿舎等が現れてくる。(2016.3.18)
寄宿舎等(2016.3.19)
礼拝堂 (2016.3.20)
右回りに観ていきます。
こちらのエッジはかなり鋭角でクラックがかなり出ています。(2016.3.21)
観る角度のよってかなり表現が異なります。右側に多くの巡礼者が参集する広場と説教する場があります。(2016.3.22)
説教広場面(2016.3.23)
こちらの面はあまり雑誌に載らない面です。(2016.3.24)
平坦な面に さまざまな開口が (2016.3.25)
屋根は片流れにて右の樋に集中して落ちる(2016.3.26)
樋 と 雨受け (孫弟子の象設計集団の進修館にもこの様な樋がありました)(2016.3.27)
中に入ってみる
内部(2016.3.28)
一般的に良い建築は外観は引き締まって小ぶりに見え、中に入ると大きな空間に出会う事が多いが、この建物は
外観よりかなり狭い内部空間に感じる、少し暗く狭い空間に降り注ぐ光の粒がとても印象的である。
天井面はコンクリート打ち放しで重いが壁と切り離されて天井と壁のスリットから光が注ぐ(2016.3.29)
下部には聖人の名前を書いたステンドグラスがはめ込まれて、教会にある壁画の代わりになっている。(2016.3.30)
2mほどある厚みのある壁ですが、叩いてみると空洞になっている音!全部コンクリートではない様だ
3本のウサギの耳の様な塔の下は説教台があってそれぞれ小さな説教スペースとなっている。(2016.3.31)
マリア像は正面の壁右上の壁の中にあって南の光が背後から後光の様に降り注ぎます。(2016.4.1)
ビジターセンター模型(2016.4.2)
レンゾピアノが設計したビジターセンターと新たな寄宿舎等は西及び北の斜面に模型の様に地形に習って埋め込まれています。
礼拝堂の景観を邪魔しない様にシンプルに計画され私はとても好感が持てました。
ビジターセンターの中にはル・コルビュジェの作品に関する写真などが展示してあります。
ビジターセンター内(2016.4.3)
ロンシャンの礼拝堂、ラ・トゥーレット修道院を語る時忘れてはならない事は無神論者のル・コルビュジェとアラン・クチュリエ神父との出会いで
その様子を詳しく知るには「丘の上の修道院 ル・コルビュジェ 最後の風景」 Nicholas Fan 著 田村広子訳 六曜社出版 の本がお薦めです。
「丘の上の修道院 ル・コルビュジェ 最後の風景」(2016.4.4)
そして、ロンシャンの礼拝堂、ラ・トゥーレット修道院、チャンディガールなどに係った弟子のギリシャ人で現代音楽作曲家・建築家 ヤニス・クセナキス
の影響が大きいと思われます。
ル・コルビュジェとヤニス・クセナキス(2016.4.5)
クセナキスは1958年(昭和33年)コルビュジェの事務所時代にブリュッセル万国博覧会のフィリップス館を設計している。
フィリップス館(2016.4.6)
クセナキスのポリトープ
この建物はクセナキスのポリトープ理論が形になった建物で、クセナキスの作品と考えて良いと私は思います。
また、モデュロール理論の発案にもクセナキスが係わっている、黄金比、プロポーションにこだわるのはギリシャ人らしい発想です。
モデュロール(2016.4.7)
ロンシャンの礼拝堂と同じ年 1955年 (昭和30年) (68歳) に インド・チャンディガールの高等裁判所も完成する。
チャンディガール 高等裁判所(2016.4.8)
私は1974年に吉坂隆正先生のツアーでチャンディガールに訪れました、その当時はまだ樹木も成長していなく荒涼とした敷地に街が出来つつありました。
ゲストハウスの吉坂先生の部屋でウイスキーを頂きながらお話が聞けた夜が懐かしく思い出されます。
2度目の訪問は2008年に訪れた時は樹木も育ち、荒涼さはなくなって、立派な街に成長していました。
この高等裁判所の建物はサヴォア邸の白の時代の建物とは全く違います、また、ミース・ファン・デル・ローエのモダニズム建築とも違います。
日差しの熱いインドの敷地で機械空調に頼らない、大きな屋根で日差しを防ぎ、ブリーズソレイユによって日差しを調整し、
風通しの良い建物になっています。 21世紀になって建築界が動き出した、エコ建築なのです。
赤、黄色、緑の柱の奥に 直行するスロープがあります。(2016.4.9)
ブリーズソレイユ 風通しよく考えられた形体です。(2016.4.10)
スロープを上ると柱の間から議事堂とその奥に合同庁舎が見えます(2016.4.11)
1958年 (昭和33年) (71歳) チャンディガール 合同庁舎 が完成する。
合同庁舎はとても長い建物でコンクリート打ち放しのブリーズソレイユで日差しを調整している建物です。
合同庁舎 左半分(2016.4.12)
合同庁舎 右半分(2016.4.13)
左も右も同じデザインのブリーズソレイユで単調さを避けるために中央部はデザインを変えています。
中央部(2016.4.14)
また中央部左には10階まで続くスロープがあります、勾配は1/10ほどあって最上階まで上るとかなり息が切れました。
スロープ(2016.4.15)
屋上は1m位浮かしたPCのデッキと屋上庭園がありました。(2016.4.16)
ル・コルビュジェの屋上庭園は五原則にもある様にほとんどの建物にありますが、あまりきれいな屋上庭園ではありません。
合同庁舎屋上から見た議事堂(2016.4.17)
同じ年の1958年 (昭和33年) (71歳) に チャンディガール 美術館も完成する。
美術館(2016.4.18)
美術館 正面(2016.4.19)
内部(2016.4.20)
45℃に振った梁とトップライトの採光(2016.4.21)
この美術館は非常に日本の西洋美術館と似ています。西洋美術館の設計は日本の弟子前川、坂倉、吉坂が実施設計をしました、
完成はこの美術館の一年後1959年(昭和34年) (72歳) になります。
西洋美術館(2016.4.22)
1959年(昭和34年) (72歳) には 同じくチャンディガールに 美術・建築系の大学が完成している。
チャンディガール 美術・建築系大学 (2016.4.23)
正面(2016.4.24)
テーパーを付けて木口を薄く見せたブロックを交互に積んで出来上がったファサード(2016.4.25)
平屋で中庭をいくつも作って構成されたキャンパス。(2016.4.26)
教室内部(2016.4.27)
また同年1959年(昭和34年) (72歳) パリでは スイス学生会館の近くにブラジル学生会館が完成した。
ブラジル学生会館(2016.4.28)
彫の深いブリーズソレイユでデザインはユニテや、チャンディガールに近い
しかし、スイス学生会館同様 裏の表情は表と大きく違う。
ブラジル学生会館 裏面(2016.4..29)
ピロティー下部はいろんな要素がまじりあっていた(2016.4.30)
また同年1959年(昭和34年) (72歳) には フランス リオン郊外にラトゥーレット修道院 が完成しています。
LYON PART DIEU 駅から Roanne行列車で
L‘ARBRESLE駅で下車 坂道を30分ほど登るとラトゥーレット修道院に着く
少し大変ですが、素晴らしい景色と、フランスの山間の街並みを楽しむことができる。
途中数カ所に La Tourette Le Corbusier の標識が立っている。
La Tourette Le Corbusier の標識(2016.5.1)
途中の風景(2016.5.2)
並木の奥にラトゥーレット修道院が見えてくる(2016.5.3)
ラトゥーレット修道院への入り口は意外にあっさりしたスペースで以前は修道士が部外者と唯一合う事が出来た外部のスペースが受付けになっている。
右下、ピロティーの下の小屋が受付で修道院の中へは宿泊客か、見学ツアー者以外は入れない(2016.5.4)
私は宿泊しました、食事は宿泊者全員が食堂でするのですが、コルビュジェ好きな建築関係者が多く、ベルギーの建築家家族、
フランスの隈さんの事務所に勤めている女性カップル、などで片言の英語でコルビュジェ談議が出来楽しい思い出になりました。
宿泊の予約は メールを送ってとります。
見学・見学ツアーの案内 を参照して下さい。
前にも書きましたが、ラ・トゥーレット修道院を語る時忘れてはならない事は無神論者のル・コルビュジェとアラン・クチュリエ神父との出会いで
その様子を詳しく知るには「丘の上の修道院 ル・コルビュジェ 最後の風景」 Nicholas Fan 著 田村広子訳 六曜社出版
と TOTO出版からの「ル・コルビュジェ ラ・トゥーレット修道院」の本がお薦めです。
「丘の上の修道院 ル・コルビュジェ 最後の風景」 「ル・コルビュジェ ラ・トゥーレット修道院」(2016.5.5)
ル・コルビュジェはアラン・クチュリエ神父にラトゥーレット修道院を設計する前に同じシトー会派のル・トロネ修道院を見学する事を要請された。
ル・トロネ修道院はマルセイユとニースの中間にある地中海に面した所にある、是非行ってみたかったがスケジュールが合わず今回はいけませんでした。
左に礼拝堂右にコの字の回廊のプラン(2016.5.6)
ラトゥーレット修道院も同じ様に礼拝堂と中庭を囲むコの字の回廊のプランであるが、中庭に正三角錐の屋根を持つき祈祷堂と通路がある。
ラトゥーレット修道院 アイソメ図 (右前が西面)(2016.5.7)
西の外観が一般的によく見る外観です。
西面 (敷地は東から西に下った地形に建物がピロティーで浮いて建っている)(2016.5.8)
上部2層が玉石の洗い出し仕上げのフレームになっている宿泊個室部分で中庭を囲むコの字になっている。(2016.5.9)
中間の2層はガラス張りで食堂と教室などの部屋がある、縦のリブはヤニス・クセナキスが音楽を建築で表現したリブです。
(2016.5.10)
最下階はプルーベぽいシャッターの付いた台所(2016.5.11)
南面 東から西に下がった敷地とピロティーで浮いた状態が良く分かる(地面は自然のまま)(2016.5.12)
東面 道路からブリッジを渡って建物に入る、修道院との結界のブリッジの様だ(2016.5.13)
北面 手前の要塞のような地下礼拝堂の屋根に3本刺さったトップライトの筒(2016.5.14)
中庭の中に建つ正三角錐の屋根を持つき祈祷堂(2016.5.15)
食堂階の切張模様の窓とその下の階の音楽リブの通路(2016.5.16)
中庭の音楽リブの通路(2016.5.17)
西面1階 外付ブラインドシャッター(2016.5.18)
中庭を宿泊個室廊下から東側を見る(2016.5.19)
同じく西側を観る(2016.5.20)
中庭中央通路音楽リブ(2016.5.21)
市松模様窓部分(2016.5.22)
宿泊個室3,4階廊下、目線の高さの横スリット窓(2016.5.23)
宿泊個室入口、左縦スリット部は通気窓になっている。(2016.5.24)
宿泊個室からベランダを通して外(東側)を見る(2016.5.25)
個室内部(2016.5.26)
ベランダ出入り口 ドアの色は緑、枠は黄色(2016.5.27)
2階西側 食堂 北方向 (2016.5.28)
同じく食堂 西方向の音楽リブ(2016.5.29)
食堂北隣のキッチン(2016.5.30)
食事風景 宿泊者は建築家家族ばかりで話が弾む(2016.5.31)
教会入口、潜水艦のドアの様な分厚い鉄の扉(2016.6.1)
とても静寂で暗い空間に差し込む光が絶妙な教会 西方向(2016.6.2)
東方向 一段高くなっている (2016.6.3)
東南方向 斜めの壁部分は赤色聖具室(2016.6.4)
西南方向 地下礼拝堂 斜め壁は黄色 天井は濃紺、トップライトは左から濃紺、赤、白(2016.6.5)
地下礼拝堂 南方向を見る 斜め壁黄色 トップライトは手前から白、赤、濃紺(2016.6.6)
地下礼拝堂(2016.6.7)
2階図書閲覧室 中庭方向を見る(2016.6.8)
中庭の三角錐屋根の祈祷堂内部(2016.6.9)
1962年(昭和37年)(75歳) にチャンディガールの議事堂が完成する。
チャンディガール 議事堂(2016.6.10)
水平な大きな屋根から右上に付き出した塔が議事堂の塔で、左の三角はトップライト
議事堂の模型は
この様な模型でトップはひげを生やした人の顔の様(2016.6.11)
何処かで観たような
そう!大阪万博に良く似ている、万博は1970年だから この議事堂からの影響が大きいだろう。(2016.6.12)
この議事堂の内部1974年に吉坂先生と行った時に内部を見る事が出来た、骨太の圧倒的な空間であったが、写真は取れなかったので記録が無い。
コルビュジェのインドに関する資料では
ル・コルビュジェのインド 彰国社編 北田英治写真
が詳しい資料で、あの議事堂の内部写真も載っている(2016.6.13)
議事堂内部(2016.6.14)
この建物で私が気に居た部分はサイドの45度のルーバーです。あまりきれいではない池に写ったエレベーションがきれいです。
正面とサイドのルーバー(2016.6.15)
45度のルーバー(2016.6.16)
正面の屋根のプロポーションに対して壁柱が薄いので屋根が浮いて見える(2016.6.17)
この屋根の厚みのプロポーションは、前川さんの上野にある東京文化センター にかなり影響を与えている。
正面の大きな回転扉にはル・コルビュジェが書いた絵が描かれています。
回転扉(2016.6.18)
左側の窓はラトゥレットにあった音楽ルーバーがここにもあります。たぶんこの建物もクセナキスが関係してたのでしょう。
音楽ルーバー(2016.6.19)
ル・コルビュジェは1965年(昭和40年)(78歳)で亡くなっているので、議事堂は亡くなる3年前の最後の力作の様に私は思います。
亡くなって以降はフランス、フェルミに文化会館、競技場、ユニテ・ダビタシオン、など建設され2006年にサン・ピエール教会が竣工するが
私はあまり興味がわかなく、見に行っていません。
ル・コルビュジェの作品ではありませんが、従兄弟のピエール・ジャンヌレの作品がチャンディガールのパンジャブ大学構内にあります
ガンジー会館
池の水が抜かれてありませんが本当は水盤の上に建っています。
後期のル・コルビュジェの作品と共通する部分が多くあって良い作品です。(2016.6.20)
最後に1985年(昭和60年)にチャンディガールに建てられた、「開かれた手の碑」でこのコラムを終了します。
「開かれた手の碑」(2016.6.21)
6月30日までデンマーク、フィンランドに視察旅行にいっていますのでコラムの更新はありません。
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