建築 雑コラム 25
Architecture The s Column
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オランダ・アムステルダム・ユトレヒト・ロッテルダム
昨年の11月にオランダとイギリスに行きました。 まずはオランダから。
(2015.7.4)
オランダはドイツとベルギーに挟まれ北海に面してイギリスとも近い距離にある、大きさは日本の九州より少し大きい程度の国です。
Nederland(ネーデルランド)と呼ばれる事が多い、歴史的には神聖ローマ帝国からスペイン、ハクスブルク家の領土になって、
1568年から始まったオランダ独立戦争、八十年戦争をへて1648年に独立する。
東インドをポルトガルから侵略し貿易国家としてアジアに進出する。(2015.7.5)
江戸時代の鎖国体制化で唯一出島での貿易を許された国がオランダでその当時の西洋文明はオランダ=蘭学で日本との繋がりの多い国です。
首都はアムステルダムですが、王宮、国会、官庁などはデン・ハーグにあります。
(2015.7.6)
首都アムステルダムはアムステル川の河口をダムの様にせき止めて作られた街なので、アムステル ダム と呼ばれるそうです。
街は何本もの運河によって区画された街並みで運河の水位はダムの調水設備にて一定の水位を保っているので水面と街の地盤面の距離が少なく
親水性の高い街並みでイタリアのベネチアに近いものを感じました。(かっての日本の大阪、江戸もアムステルダム同様親水性の高い街並みだったと私は思います、商業都市で大阪に似ていたのでは?)
アムステル川の河口にできたアムステルダムの街、何重にも重なる同心円の運河(2015.7.7)
アムステルダムは貿易都市として発展して17世紀には世界で一番裕福な街となって、アジアそして長崎出島までここから航海していたのであろう。
親水性の高い街並み 都心部(2015.7.8)
郊外の住宅地 水との距離がとても良い(2015.7.9)
アムステルダム駅の構成は東京駅に良く似ているが、よく見てみると細部の創りの豪華さは、17世紀のオランダの経済力、文化程度、歴史を反映して素晴らしい。
アムステルダム駅(2015.7.10)
東京駅 (2015.7.11)
細部を観比べると、文化を支える、技術力と、経済力、歴史の差がはっきりと分かる。(2015.7.12)
江戸時代お手本とした蘭学の国と、近代文明の幕開けに創ったアジアの国の駅の状況が素直に理解できる。
愛知県にある「明治村」を西洋人に見せない方が日本文化を彼らに馬鹿にされないのではと、いつも思っているのですが、また思い出しました。
見せるなら、神社仏閣、城、大名庭園、数寄屋建築 などの方が彼らが日本文化を理解するのに適している、
そして文化財として残すなら、これらの建物で明治以降の建物より重要度が高いと私は思いますが、現状は逆で神社仏閣、数寄屋建築は
減少の一途をたどっています。(2015.7.13)
そしてチンケな煉瓦建築に多大な税金を使って保存しようとしている市が私の住んでいる街の近くにもあります。
文化の評価を近代日本史の範疇で評価し、脈々と続く世界史の中での日本(近代以前の歴史も含めた)を評価する事が、
文部省はじめ明治以降の日本人に欠けている様に私は思います。(2015.7.14)
話がそれましたのでアムステルダムに戻ります。
運河沿いの街並みは間口が狭く、京都に似てうなぎの寝床のような敷地で4,5階建ての切妻作りが多く、妻部分のデザインに個性があります。
また、間口が狭く階段も狭いのか荷物を運び入れるために各家の妻上部には滑車が付いています。
間口の狭い(間口の広さで税金が決まったため)敷地(2015.7.15)
横から見ると各家の垂直ラインがバラバラ、地盤が悪いのか家が傾いているようです。
其々傾いている、よく見ているととても気持ちが悪い。(2015.7.16)
地震が来たら液状化が起こって不同沈下すると思われますが、地震が無いのでしょうか? 心配になります。
遊覧船から見た街並み、右から2番目の家はかなり傾いています。(2015.7.17)
遊覧船からのベストショット(2015.7.18)
今回の旅の主目的は、ヘリット・リートフェルト(1888年〜1964年)と、レム・コールハース(1944年〜)の作品を観る事です。
ヘリット・リートフェルトは1888年にユトレヒトで生まれ家具職人の父のもとで家具職人となりましたが、
ヘリット・リートフェルト(1888年〜1964年)(2015.7.19)
1917年に創刊されたデザイン誌「デ・ステイル」(英語訳THE STYLE)に基ずく芸術活動「デ・スティル」に参加する。
(フランスでル・コルビュジェとオザファンが発刊した、キュビズム運動のデザイン誌「レスプリ・ヌーボ」創刊1920年より3年早い)
「デ・ステイル」には 画家のピエト・モンドリアン、画家建築家のテオ・ファン・ドースブルフ、建築家のJ.J.P・アウトなどが参加していました。
ピエト・モンドリアン(1872年〜1944年) テオ・ドファン・ドースブルフ(1883年〜1931年)(2015.7.20)
垂直、水平線のみが重要としたモンドリアンは、斜めの線を許容するドースブルフと対立し1925年にグループから脱退する。
ヘリット・リートフェルトの有名な家具にレッド&ブルー・チェアーがあります、原型は1918年に創られ作品としては1923年に発表されています。
レッド&ブルー・チェアー(2015.7.21)
この翌年に世界遺産になっているシュレッダー邸が完成し、リートフェルトの最初の建築作品となりました。
シュレッダー邸(ユトレヒト駅よりバス8番Adriaen Van Ostadelaam下車徒歩15分、Prins Hendrikan 50)
(見学はHPより予約が必要)(2015.7.22)
1924年の初めての建築としては素晴らしすぎる作品だと思います。モンドリアンの絵を、建築に置き換えた様な建物で、意外に小さな建物です。
狭い空間をいろいろ工夫された間仕切りや装置で用途に合わせて変化でき、日本の忍者屋敷のような要素もあります。
シュレッダー邸2階リビングコーナー窓 2階子供部屋からリビング側を観る(2015.7.23)
長女の部屋内部(2015.7.24)
1階にはリートフェルトが事務所にしていた部屋もあって、デ・ステイルのメンバーのたまり場となっていたそうです。
リートフェルトが事務所として使っていた部屋(2015.7.25)
同じ1924年にル・コルビュジェはラロッシュ・ジャンヌレ邸を発表していますのでこの当時のオランダはモダニズムの最先端の一翼を担っていたことが分かります。
シュレッダー邸のすぐ脇を高速道路が走っています、そのガード下を抜けて50m位行った左に1931年に完成したエラスムスラーン低層集合住宅があります。
3階建ての1軒が4戸つながった構成になっています。窓廻りの詳細もとてもシャープで洗練されたモダン建築です。
エラスムスラーン低層集合住宅(1931年)(2015.7.26)
現在は貸事務所として使われています。
出入り口周り詳細 内部(2015.7.27)
私の好きなリートフェルトの作品は初期のこの2点と後期の1955年以降の作品になります。
後期の代表作が
アーネム美術アカデミーとアムステルダムにあります彼の名前を冠した美術大学、
ヘリット・リートフェルト・アカデミーです。
ヘリット・リートフェルト・アカデミー(1956年-67年)(トラム16系 ijsbaanpad駅下車)(2015.7.28)
シャープなカーテンウォールで洗練されたセンスを感じます。
詳細(2015.7.29)
内部階段(2015.7.30)
この建物の近くにCIAM後期ピーター・スミッソン夫婦を中心としたチームX(チームテン)に所属したオランダの建築家アルド・ヴァン・アイク
のアムステルダム市立孤児院(現在オフィースになっている)がある。
アルド・ヴァン・アイク(1918年〜1919年)(2015.7.31)
アムステルダム市立孤児院(1960年)(現在はオフィースになっている)(2015.8.1)
CIAMを潰して乗り越えようとしたチームXの建築家の作品からはなぜかパワーを感じないのは私だけであろうか?
同時期に建ったリートフェルト・アカデミーのパワーには誰が見ても負けると思います。
チームXがCIAMを解散にしなければチンケな近代建築が世界中に充満せず、もう少し洗練された近代建築になったかもしれない。
(ル・コルビュジェ(フランス)グロピウス(ドイツ)を嫌うイギリス、オランダの建築家の策略?)
また、ポストモダンなんて変な時代も来なかったかも知れません。(2015.8.2)
最後はリートフェルト最晩年の作品
ゴッホ美術館(トラム2,3,5、12系Van Baerlestr駅下車)です。
ゴッホ美術館(1963年〜1973年)(2015.8.3)
公園側(2015.8.4)
内部(2015.8.5)
新館は黒川紀章が設計していますが、改修工事中でした。(2015.8.6)
次にリートフェルトと同様に「デ・スティル」で活躍したJ・J・P・アウト(ヤコーブス・ヨハネス・ピーター・アウト)を紹介します。
J・J・P・アウト (1890〜1963)(2015.8.7)
今回観た建築はロッテルダムにある低層集合住宅のデ・キフフック集合住宅です。(ロッテルダム、トラム20,25系Randweg駅)
この集合住宅は今回の旅で、私がとっても気に入った建築です。
1kmx1km位のエリアを三角の街区で区画した低層の集合住宅(1925〜1930)(2015.8.8)
街区には商店も幼稚園もあって街を形成しています。
今から90年前にこのモダンな街区があったとは、思えないほど新鮮な建築でした。
コーナー部一階は店舗が入っています。(2015.8.9)
ル・コルビュジェのラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸が1924年、サボア邸が1931年ですから同時代になります。
オランダのデ・スティルはモダニズム建築のその当時先端にあった事が良く分かります。
連窓するハイサイド窓がすてきです。(2015.8.10)
三角の街区の底辺にはこのような戸建ての家が数軒並びます。(2015.8.11)
三角の街区の中はプライベート性の高い中庭になっていて子供が遊んでいました。
区画の端に幼稚園がありました。
J・J・P・アウトは今回の旅をするまでは私は名前も知りませんでした(私の勉強不足かもしれません)が、
モダニズム建築家としてもっと名前が出て来ても良い存在ではないかと思いました。(2015.8.12)
オランダの近代建築の父とよばれている人はヘンドリックス・ペトルス・ベルラーヘです、日本の辰野金吾の様な存在で都市計画から、建築までこなしました。
ヘンドリックス・ペトルス・ベルラーヘ(1856〜1934)(2015.8.13)
代表作としてアムステルダム駅の近くに旧証券取引所があります。
旧証券取引所(1898)(2015.8.14)
レンガの建築
ベルラーヘは1911年にアメリカを旅行しフランク・ロイド・ライトに影響を受け、次の世代のデ・スティルの人に影響を与えた。(2015.8.15)
オランダにはデ・スティルと同時期の1910年から1925年頃にかけてアムステルダムで活躍した建築家のグループでアムステルダム派がある。
アムステルダムは埋め立て地で地盤が軟弱なので石よりもレンガを積んだ建築の歴史があってこのグループもレンガを使っている。
今回はミッシェル・デ・クレルクのミュージーアム・ヘット・シップアムステルダム(エイヘンダルート集合住宅)とデ・ダヘラート集合住宅を見る事が出来た。
ミュージーアム・ヘット・シップアムステルダム(エイヘンダルート集合住宅)1920年(バス22番終点)(2015.8.16)
街区を形成する集合住宅でエイヘンダルート集合住宅と呼ばれていた、この中にあった郵便局をミュージーアムとして展示している様でしたが、
私が行った時は閉館していました。
Y字の街区はヘンドリックス・ペトルス・ベルラーヘの都市計画の特徴らしい。
うねる煉瓦と隅々までデザインしつくした跡を感じました。(2015.8.17)
ミュージーアムとされている旧郵便局部分(2015.8.18)
同じ様な大きな街区からなるデ・ダヘラート集合住宅(トラム12系C.Troostplein駅)も同じ建築家ッシェル・デ・クレルクの作品である。
デ・ダヘラート集合住宅 やはりうねる様な煉瓦積(1922年)(2015.8.19)
玄関廻りのディテールにもデザイナーの手の跡が残る(2015.8.20)
うねる外壁(2015.8.21)
窓廻りのディティールにも工夫の跡が残る。(2015.8.22)
アムステルダム派は世界的にはあまり大きな影響を与える事はなかったが、
1923年に渡欧した日本の建築家堀口捨巳はアムステルダム派の影響を受け紫烟荘を創っている。
堀口捨巳 紫烟荘(1926年)
またその後1926年にアムステルダムに訪れた今井兼次、と今井からの情報を得てその後訪れた村野藤吾もアムステルダム派の影響を受け
日本の建築にはアムステルダム派のDNAが入っているのか、私も自分ではしないと思うが、引かれるデザインでした。(2015.8.23)
近代建築でロッテルダムにあります、世界遺産となっている工場があります。
ファン・ネレ工場で煙草、珈琲、紅茶の工場で1931年に竣工しました。(バス38系Beukelsbrug駅)
ファン・ネレ工場(1931年)(2015.8.24)
設計はレーンデルト・ファン・デル・フルフトとヨハネス・ブリンクマンであまり知らない建築家です。
カーテンウォールのファサードと2本のブリッジ(2015.8.25)
1931年でこのガラスのカーテンウォールはかなり近代的だったと思われます、内部見学ができなかったのが残念でした。
また2本の空中を行き交うブリッジは現代建築でもおかしくないデザインだと思われます、やはり世界遺産になるだけのものがあります。
ブリッジ(2015.8.26)
オランダのもう一つの目的でした、レム・コールハスの建築を観てみましょう。
レム・コールハス(1944年〜) (2015.8.27)
ロッテルダム生まれで、ジャーナリスト、脚本家からイギリスのAAスクールで建築の勉強をした、異色の建築家ですが、
彼の事務所OMAからはザハ・ハビット、MVRDVのヴィニー・マース、ヤコブ・ファン・ライス、BIGのビャルケ・インゲルスなどが育っている。
私は、新しくても古くても建築には共通した次元の評価があると思っていますが、
彼は違って、今までにない形を表現する事を常に追いかけている建築家と思います。
ロッテルダムにあります、彼の初期の作品のクンストハルです。(トラムVasteland駅)
クンストハル美術館(1992年) 正面からはなんてことない建物です。(2015.8.28)
裏からはかなり高さのある建物です、下部にガラスを使い側面には斜めのライン(2015.8.29)
裏の中央から表のエントランスに抜けるスロープがあります。
道路面から6mほど下った敷地で側道が建物の下を通っています。上部に重たいマスがあって浮かしてあります。斜めのラインが特徴かな?
(2015.8.30)
側道の上をスロープが交差しています。
敷地も面白いのですがそこに建てた建物に側道が抜け、直行したスロープが抜けてるとこがアイデアとしては面白いのですが、感動がありません。
建築から私に話しかけてくるものが何故かないのです? 私には縁のない建物なのか? 感性を入れない様にしたのか?
意図している事はほとんどわかるのですが、それがどうしたの?という建物でした。(2015.8.31)
次にユトレヒトのユトレヒト大学にありますエデュカトリアムです、リートフェルトの、シュレッダー邸から歩いて30分位の所にキャンパスがあります。
エデュカトリアム(1997年) ホール付の学生会館?(2015.9.1)
ひと筆書きのスラブに面一に納まったガラス面 やりたい事は良く分かる建物です。
ガラスとコンクリートの面一の納まり (2015.9.2)
一時期日本でもはやりましたが、絶えずメンテランスしないとガラスが汚れるでしょう!
ホールの床の傾斜が一筆書きのアイデアに繋がってるようです。(2015.9.3)
内部もスロープがいっぱいですが、やはり感動が無い(2015.9.4)
建築を、言語や、知性で評価する人には良いのかも知れませんが、世界中の建築と感性で話し合うのが楽しみな私にとって物足りない建物でした。
このユトレヒト大学のキャンパスはとても広くそこには現代建築家が建てた建物が多くあります。
磯崎新が福岡で若い建築家にチャンスを与えてたネクサスワールドでレム・コールハスは評価されましたので、コールハスは同じことをこの大学でやったのかも知れません。
教育学部校舎(2015.9.5)
ミナエルト・ビル 用途不明
図書館 学生寮(2015.9.6)
事務棟 学生寮
いろんな斬新な建物が競い合うように建っていました、多分有名な若手建築家が腕を振るったのでしょう。
しかし、私はこのキャンパスを歩いていて吐き気がしました。(2015.9.7)
調和のない空間がこれほど気持ち悪い空間になるのか?大学のキャンパスとしてこの万博会場の様な落ち着きのない空間は?
この空間は誰のための空間なのか?
考えさせられました。
レム・コールハスの最近の作品でロッテルダムにできたMABタワーです。
MABタワー(2015.9.8)
ガラス張りの高層ビルですが積み木をずらしたように微妙にずらしてあります。
それ程たいしたものではありません、レム、コールハスは規模の小さい建物の方がうまいのではと思います。
このMABタワーの近くはロッテルダムの港に近い新しい街で、
KPNタワー(地下鉄Wilheiminaplein駅)レンゾ・ピアノ
レンゾ・ピアノのKPNタワーや、オディル・ディック&ブノワ・コルネットのマースタワーなど新しくて斬新な建物が多くあります。(2015.9.9)
マースタワー ガラス張りの専門学校?(2015.9.10)
シネコンなど入った商業ビル 事務所ビル
雑多のデザインの建物が並び、その煩雑さは東京以上で、また私は気持ち悪くなってきました。(2015.9.11)
私は初めてヨーロッパに訪れた時、イタリアの街並みを観て、ヨーロッパではファサードを単体の建物の立面ではなく街並みとして考えているのだ。
と気が付きましたが、今では日本と同じ敷地境界線の中だけで建築を考えている様です。
アムステルダムに戻りまして、観てきた建物を紹介します。
アムステルダムは自転車を利用する人が多く、歩道も自転車専用部分があります、気を付けていないとこの部分を歩いて自転車に撥ねられそうになります。
自転車専用部分(2015.9.12)
アムステルダムの港を埋め立てて新しい島が出来、KNSM島は多くの建築家がデザインした集合住宅が建ち並ぶ島です。
(トラム10番線Azartplein駅)
ドイツの建築家ハンス・コールホフの設計したピラエウス集合住宅(2015.9.13)
煉瓦タイル貼で落ち着いた感じがしますが、運河側にくの字の中庭をとった面白いプランニングがしてあります。
く の字 の中庭(2015.9.14)
面白い窓の開き方をします、窓側はサンルームになっている様です。(2015.9.15)
隣りには同じく煉瓦タイルが貼られた、集合住宅バルセロナがあります。
ベルギーの建築家ブリュノ・アルベールが設計した集合住宅バルセロナ(2015.9.16)
C の字 の中庭 低く抑えられた階高、2層吹き抜けの家もある。(2015.9.17)
C の字 の入り口には ステンレスのフラットバーを加工したお洒落な門扉がある。(2015.9.18)
バルセロナの道向えに高層の集合住宅があります。
オランダの建築家ヴィール・アレッツ設計のKNSM島タワー(2015.9.19)
島の先端にはマスタープランをした、オランダの建築家ヨー・クーネンが設計した、集合住宅エメラルドエンパイヤがある。
集合住宅 エメラルドエンパイア
ドーナツ状の集合住宅の外周に2戸一の住宅が点々と建っています。(2015.9.20)
外周に建つ2戸一の住宅(2015.9.21)
中庭 エレベーター塔とペントハウスに特徴があります。(2015.9.22)
ペントハウスの住宅が楽しそう(2015.9.23)
KNSM島から戻ってゼーブル地区に来ると高層の集合住宅が見える
オランダの設計事務所ノイトリング・リーダイク設計のアイ・タワー(2015.9.24)
その隣によく目立つ集合住宅ホエールがある。
左 ホエール 右 アイ・タワー (KNSM島から撮影)(2015.9.25)
エリック・ファン・エヘラー デザインの 集合住宅 ホエール (2015.9.26)
鉄骨造で外壁はカラー鉄板一文字葺き(2015.9.27)
ロ の字 プランで 中庭も広い (2015.9.28)
KNSM島、ボルネオ島、ジャワ島(なぜか南国の島の名前?)は河口の島状に住宅地として埋め立てられています。
集合住宅が多いのですが、ボルネオ島は低層の集合住宅地もありました。
島を結ぶ橋も変わった橋がありました。
アアドリアーン・ヘウゼがデザインした、 アナコンダ橋(歩行者専用橋)(2015.9.29)
うねった蛇をイメージしたのでしょう正に『アナコンダ』 こんなにうねっていては急こう配の部分は階段になっていますので
人しか渡れません。
橋を渡って向こうのボルネオ島は低層集合住宅が並びます。MVRDVが設計した建物もあったのですが、どれだか分かりませんでした。
ボルネオ島の低層集合住宅 各家に船が横づけされています、漁師でもないと思いますが、どんな生活をしているのか興味がわきます。
(2015.9.30)
河口で目につく建物があります、薄緑の緑青色をした船の格好をしています、イタリアの建築家のレンゾ・ピアノの設計の科学技術センターです。
通称「シップ」と呼ばれている 「
科学技術センター」 内容はこども科学館で子供を連れた家族で一杯です。
(2015.10.1)
写真左に信号があります、この建物の下には海底トンネルに抜ける高速道路が走っています。
イタリアの建築家で関西国際空港を設計したレンゾ・ピアノ(1937-)(2015.10.2)
右側の階段を上っていくとシップの屋上庭園に上がっていけます。最上部には食堂があって眺めも良い場所でした。
シップの入り口に鉄骨造で面白い恰好をした建物があって、中にも入れました、どうも建築の設計事務所らしいのですが、名前は分かりませんでした。
鉄骨造の建築アトリエ(2015.10.3)
レム・コールハスの事務所OMA出身のヴィニー・マースとヤコブ・ファン・ライスとナタリー・デ・フリイスがつくった事務所がMVRDVです。
MVRDV 左よりヤコブ・ファン・ライス(1964-)ナタリー・デ・フリイス(1965-)ヴィニー・マース(1959-)
MVRDVの有名な作品で「100戸の老人集合住宅」(トラム17系 Hoekenes駅から徒歩10分)があります。
100戸の老人集合住宅 (2015.10.4)
キャンティーで15mほど撥ね出していてとてもアクロバティックです。外壁は木の板張りですが一部劣化していました。
びっくりするほどのキャンティーですが、老人が落ち着いて生活できるのか?(2015.10.5)
コンクリート・鉄・ガラスの材料の現代建築とは違った新しい材料と言う事で「木」を最近使います。(特に隈研吾は木を良く使っています)
しかし材料を一つのアイテムとして使っているだけで、木の特性や性質を熟知して使っていないため年数が経つと劣化して見られたものではありません。
隈研吾の2004年に造られた村井正誠記念館を以前見に行きましたが、悲惨に腐食、劣化して現在は休館になっていましたのを思い出しました。
この建物も多分同じ道をたどることは明白です。今までにない物、現代建築と違った材料、アクロバットなデザイン、それを取上げるマスメディア。
良く分かるような気がしますが、本物の道ではない様に思います。(2015.10.6)
東面の飛び出したバルコニー、飛び出したバルコニーのデザインはアムステルダムではよく見かけました。(2015.10.7)
市の中心ゴッホ美術館の隣に
アムステルダム市立美術館(トラム2,3,5、12系Van Baerlestr駅下車)がある。
アムステルダム市立美術館 新館 このデザインオランダ人には評判が悪く「バスタブ」と呼ばれているそうです。(2015.10.8)
新館 かなり伸び出した庇(2015.10.9)
左が旧館、右が新館
この建物旧館の老朽化に伴って、1990年にコンペが行われアメリカのロバート・ベンチュリーが勝ち取ったのですが、現実化できず、
1996年にポルトガルの建築家アルヴァロ・シザに交代して出来上がりました。
オランダ人には評判が悪いそうですが、旧館との取り合わせも良く新館のデザインも大胆でまた細部まで良く創り上げてある建物だと思います。
アルヴァロ・シザの建物はバルセロナの気象庁舎とこの建物とで二軒目ですが、きっちりとかつ大胆に納める建築家で興味を覚えました。
アルヴァロ・シザ(1933-) (2015.10.10)
ロッテルダムにある現代建築を紹介します。
オランダ建築家会館(トラム4.7.8.20.23.25 Eendrachtspleind駅) はヨー・クーネンの設計です。(2015.10.11)
鉄骨の外柵の中に入れこになったガラスBOXの建物です、休みで中に入れませんでした。(2015.10.12)
その隣にデ・スティルの住宅が残されています。
ソンフェルト邸 ブリッカン&バンディアフォルト設計(2015.10.13)
ソンフェルト邸の前に ロマン派の建物 ボエイバンシ・ファン・ベウニンヘン美術館があります。
ボエイバンシ・ファン・ベウニンヘン美術館 A・ヴァンディア・ステウアー設計(2015.10.14)
地下鉄A,B,CラインBlaak駅を出てすぐにとても目立つ建物があります。
キュービックハウス(2015.10.15)
集合住宅のキュービックハウスでビート・ブロムの設計です、建物の下を道路が走っています。
キュービックハウスの前の広場の向えにまた変わった建物があります。
ドーナツ状の変わった建物(2015.10.16)
MVRDV設計のマーケットホールです。
中はマーケットになっていますが、ドーナツの内側には色鮮やかな絵が描かれていて気持ち悪い空間です。
色鮮やかな絵の天井(2015.10.17)
教会
キュービックハウス、マーケットホールの広場の先に中世の教会があります。
どう見ても調和されていない、日本のはきだめの風景よりもひどいかも知れない。
まさに今回感じた壊れゆくヨーロッパの景観の姿でした。(2015.10.18)
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