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建築  雑コラム 45

Architecture         The s   Column    

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新型コロナの影響で視察旅行ができません。

コラムどうしようか迷いましたが、今回は私の好きな仏像に関してまとめてみます。

関西の人とお話しすると奈良県はあまりよく言われることがありません、京都は千五百年の歴史があって京都人は誇りを持って見えるようですが

奈良は京都以前の日本のルーツで私はもっと評価されてよいように思います。

名古屋からは京都も、奈良も近く2時間もあればどちらも行けますので私は年数回どちらも訪れます。

しかし仏像に関しては京都より断然奈良に良い仏像があると思います。


私が仏像に興味を持つきっかけとなったのは大学時代に読んだ和辻哲郎の「古寺巡礼」からで

京都三十三間堂の仏像を見て感動を覚えてからとなります。

まずは時代順に飛鳥・白鳳時代の仏像から見ていきます。 (2020.11.17)

6世紀末に飛鳥にて法興寺(現在の飛鳥寺)が建立され本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)がまつられたことから始まる


飛鳥寺 (現在の建物)

           
           釈迦如来坐像(飛鳥大仏)(銅造609年  鎌倉時代に大破し当初の部分は頭部上半と右手指三本のみ 重要文化財)

飛鳥から710年に平城京へ遷都され 法興寺(現在の飛鳥寺)も奈良に移り現在の元興寺となりました

次は斑鳩の里の北方に聖徳太子が掘られた井戸の近くに法輪寺がある一説では聖徳太子の病気平癒を祈願して建立されたと言われています。


法輪寺 (622年) (2020.11.18)


       
       三重塔 太平洋戦争1944年に焼失し1975年に西岡常一棟梁によって再建された (2020.11.19)


               
               金堂(1761年) (2020.11.20)



薬師如来像 (一木造 彩色 飛鳥時代 重要文化財) (2020.11.21)

           
           虚空蔵菩薩 (一木造 彩色 飛鳥時代 重要文化財) (2020.11.22)

                      
                      十一面観音菩薩 (木造 彩色 平安時代 重要文化財)

飛鳥時代の仏像は面長で朝鮮半島の百済仏を習ったものです。

平安時代の仏像はふくよかな顔の仏像になります。 (2020.11.23)


ここには薬師如来、虚空蔵菩薩、十一面観音菩薩がみえますが、如来は「悟りをひらいた人」で最上位になります。

基本的には着飾る必要もないので衣服は一枚のみです。

菩薩は補佐する仏様で着飾ってたり何か物を持っています、観音菩薩はその御利益の目的に適合して変化します。

菩薩の下に明王があって仏敵を退治するために大日如来が化身したものと言われています。不動明王や孔雀明王、愛染明王などがあります。

またヒンドウー教やバラモン教などに登場する神々が仏を守る護法神になったものが天部です。梵天、帝釈天、吉祥天、金剛力士、毘沙門天

弁才天など現世に利益をもたらすとされ庶民に親しまれた仏様が多くいます。(2020.11.24)


同じ様に聖徳太子とゆかりを持ち法隆寺と同じく世界遺産に登録されました法起寺


法起寺(638年) (2020.11.25)


      
      三重塔(706年)日本最古の三重塔 (2020.11.26)


               
               講堂(1694年) (2020.11.27)



十一面観音像 (一木造 平安時代 重要文化財)  (2020.11.28)

さていよいよ本命法隆寺です。(世界遺産)


中門 (飛鳥時代 国宝) (2020.11.29)

法隆寺の回廊のある入り口に中門がある柱は5本で入口の中央に柱がある、この様な門はここしかない。

梅原猛 の「隠された十字架 法隆寺論」によれば法隆寺は聖徳太子の死後疫病など流行して世の中が乱れ、聖徳太子の霊を治める為に

法隆寺が建立されこの回廊の中に聖徳太子の霊を治めその霊が出ないように入口の中心に柱で封印した。とある

     
       法隆寺配置図 左上の回廊が法隆寺本体 右の回廊部分は夢殿 (2020.11.30)


          
          回廊から五重塔と金堂を見る (2020.12.1)


                
               五重塔 (飛鳥時代 国宝)

心柱の下の心礎には仏舎利が納まっている (2020.12.2)

カトマンズにあるストウパーにも仏舎利が納まっていたので ストウパーが日本に渡ってきて五重塔になったと考えられる

柱の四方には塑像でできた釈迦に関する四つの逸話の塑像があるらしい

      
      その一つ涅槃の塑像 (2020.12.3)


          
          金堂 (飛鳥時代 国宝) (2020.12.4)

金堂にみえる仏様は

             
             釈迦三尊像 (飛鳥時代 国宝) 622年聖徳太子の病気平癒のため造られたと言われていて
             お顔は太子様と言われる。 面長の飛鳥時代の仏像の特徴的な像  (2020.12.5)

                  
                  薬師如来像(飛鳥時代 国宝) これも面長の像 (2020.12.6)

聖徳太子の父用明天皇が自らの病気平癒の祈願で造り始めたが崩御その後推古天皇と聖徳太子が遺志を継ぎ607年に完成

                          
                          吉祥天 (平安時代 国宝)
                          ふっくらとした平安時代の特徴が良く出ている 吉祥天は繁盛、幸福をもたらす女神です。(2020.12.7)



大講堂 (2020.12.8)


             
             薬師三尊像 (平安時代 国宝) (2020.12.9)

御宝を展示した大宝蔵院にある百済観音像は是非見て頂きたい

                      
                      細く繊細で優美な百済観音像 (飛鳥時代 国宝) (2020.12.10)

境内の東に夢殿の回廊がある


夢殿の回廊 (奈良時代 国宝 世界遺産) 

ここは聖徳太子が住まわれていた斑鳩の宮の跡で太子供養のため高僧行信が748年に建立した (2020.12.11)


            
            八角形の夢殿 (2020.12.12)

前出の  梅原猛 の「隠された十字架 法隆寺論」によれば夢殿の中の秘仏救世観音像厨子の中で開帳されることのなかった秘仏だったそうで
大きさは聖徳太子のご身長と同じでお顔も太子様を写したものと言われています。 梅原猛によればこの観音像の光輪はクサビにて止められていて
太子が亡くなった後の世の乱れを治める為に太子の霊を封じ込める為の救世観音でそれを治める夢殿またそれを含む法隆寺という説の様です。

                          
                          救世観音像 (飛鳥時代 楠一木造 国宝) 

200年間公開されなかった秘仏でしたが、1884年明治政府の依頼でアーネスト・フェロノサの要望によって開帳された救世観音像
とても長い布で巻かれて保管されていたようで保存状態はとても良かったようです (2020.12.13)


                         
                         太子様を写したとされる像です (2020.12.14)

夢殿の東隣に中宮寺があります


中宮寺 (2020.12.15)

現在の建物は1968年に建築家吉田五十八の設計で建てられた

             
             吉田五十八 (1894年〜1974年) (2020.12.16)


                  
                  池の中に建つ中宮寺 (2020.12.17)


                            
                           如意輪観音半跏菩薩像 (飛鳥時代 国宝) (2020.12.18)

当初は如意輪菩薩ではなく弥勒菩薩とされていたそうです、細身でアルカイックスマイルの典型でとても美しい像です。

                                 
                                  アルカイックスマイルの優しいお顔です (2020.12.19)

これに似て半跏菩薩像で有名な京都広隆寺に弥勒菩薩があります


広隆寺 (2020.12.20)

                        
                    弥勒菩薩半跏像 (7世紀制作 渡来仏か日本で制作されたかは不明 アカマツ製 国宝) (2020.12.21)


                        
                        このアルカイックスマイルも魅力的です (2020.12.22)

実は広隆寺には同じ弥勒菩薩半跏像でもう一つ国宝の通称「泣き弥勒像」があります

              
              弥勒菩薩半跏像(通称 泣き弥勒像 (飛鳥時代 クスノキ製 国宝) (2020.12.23)


                     
                     泣き弥勒と言われると泣いているように感じます (2020.12.24)


次は奈良時代の仏像を見ていきます

まずは飛鳥時代の末に天部天皇が皇后鵜野讃良皇女(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されたが完成を観ず崩御され、その後

持統天皇が藤原京に薬師寺を造営され697年に本尊薬師如来の開眼がされる、710年に平城京への遷都に伴い現在の薬師寺の位置に

移されました。薬師寺は歴史の中で火災や地震によって多くを失いましたが、東塔のみが創建当時から唯一残って国宝になっています。

 
薬師寺   (2020.12.25) 

東塔以外の伽藍を再構築したのは昭和43年の管主 高田好胤和上による 金堂から宮大工西岡常一によって再建され(1976年)その後

西塔(1981年)、大講堂(2003年)、食堂(2017年)戸津ずいて伽藍が創られてきた。

             
             中央が金堂 左が東塔 右が西塔 (2020.12.26)

                      
                      東塔(730年 国宝)(2020.12.27)

金堂に祭られています本尊薬師如来三尊像は藤原京時代(697年)に開眼されたとされています。

          
          薬師如来三尊像 (2020.12.28)


                    
                    中央 薬師如来 (飛鳥時代 金銅仏 国宝)(2020.12.29)

                                                       
                                                 右 日光菩薩 (飛鳥時代 金銅仏 国宝)


左 月光菩薩 (飛鳥時代 金銅仏 国宝) 

薬師如来は左手に薬を持ち、脇侍(きょうじ)には日光菩薩と月光菩薩の取り合わせになります。

三体とも少しふっくらとして見えます。
 日光菩薩、月光菩薩の少し腰をひねった表情は特徴があります、後の観音菩薩によく使われています。(2020.12.30)

東院堂にある聖観音菩薩像 

                   
                   聖観音菩薩像 (飛鳥時代 金銅仏 国宝) とても美しい菩薩様です (2020.12.31)


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