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建築  雑コラム 40

Architecture         The s   Column    

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ドイツ、ベルリン、デッサウ、ポツダム 2

街の中心商店街にフランスの建築家ジャン・ヌーベルが設計した店舗建築

ギャラリー・ラファイエット(1998年)(地下鉄U6 Frazosische Str駅)があります。


ジャン・ヌーベル(1945年〜) 
        
        ギャラリー・ラファイエット(1998年)(2019.3.24)

角地の建物で外壁をガラスでコーナーを丸くし、上部はヌーベルの頭がならんだような格好になっています。

やりたいことは分かりますが、私はヌーベルにはもっと上の事をいつも期待していますので、これも期待外れでした。

商店街なのに日曜日はクローズの所が多く閑散としています、この建物もクローズで中には入れませんでした。(2019.3.25)

                      
             上部詳細 たぶん模型で見るほど上部は視覚に入らない。(2019.3.26)

ギャラリー・ラファイエットの近くに1821年に ドイツの新古典主義を代表する建築家カール・フレンドリッヒ・シンケルが設計した

コンシェルトハウスがあります。


カール・フレンドリッヒ・シンケル(1781年〜1841年)(2019.3.27)


      
      コンチェルトハウス(1821年) 左右対称でギリシャ風の列柱があります。(2019.3.28)

建物の前の大きな広場を囲って正面にコンチェルトハウスがあり左右に同じ教会のような建物があります。

           
           左右対称に建つ教会風の建物でも正面はギリシャ風(2019.3.29)

新古典主義の建物はあまりよく知りませんでしたが、左右対称でギリシャのにおいがします。

              (2019.3.30)
              パルテノン神殿があるようです。

                
                鉄柱玄関見上げ 真四角のプロポーション(2019.3.31)


      
      中には入れませんでしたが、窓から練習風景が見えました。

かなり大きなコンサートホールです。ウイーンの楽友教会黄金のホールに似ています。

シンケルの建物はこれが初めてですが、このあと二つの建物を見て私は多くのショックを迎えることになりました。

二つとも近くにあって北東の方向、歩いて行けます。(2018.4.1)

まず1818年に造られたノイエ・ヴァッヘ


ノイエ・ヴァッヘ(1818年)(2019.4.2)

シンケルの最初の作品で近衛兵の詰め所として建てられ、現在は戦没犠牲者の慰霊場となっています。

ギリシャ風でドーリア式の6本の列柱が目立ちますが、なんといってもそのプロポーションの良さに私は衝撃を得ました。


ドーリア式柱頭 (2019.4.3)


         
         シンプルな柱脚 (2019.4.4)

          
       側面の四角いボックス これが意外に効いている、なぜかスエーデンのアスプルンドを思い出した。
       (2019.4.5)

                     
             列柱上部見上げ 真四角の天井 (2019.4.6)

そして内部は

      
      プロポーションの良い空間の中心に銅像が一つ パンテノンの様な丸い穴から日が差します。

建物のプロポーションを見ただけで、この人(シンケル)うまいと思ったのは初めてです。(2019.4.7)

ベルリン大聖堂の方へ10分ほど歩くと旧博物館が見えてくる


旧博物館(1830年)

シンケル晩年の作品でこれも列柱が並ぶ水平方向に伸びのあるこれもプロポーションの良い建物です。(2019.4.8)


    
    イオニア式の柱頭 (2019.4.9)

    
          
     ノイエ・ヴァッヘに比べ随分大きな建物で豪華さもあります。屋根にはわしの彫刻がならんでいます。
   (2019.4.10)


             
                    新古典主義はやはりギリシャの列柱を忠実に復元しているようです。(2019.4.11)


                            
                            列柱天井見上げ (2019.4.12)



ホールの奥の部屋はパンテノンと同じホールがあります (2019.4.13)

            
           下部は列柱と彫刻がならびます (2019.4.14)


                    
                    このドーム空間にも衝撃を感じました。

シンケルは19世紀のモダニズムのすこし前の建築家ですがギリシャ、ローマ時代の建築の端正さとプロポーションをとてもうまく再現した作家の様に感じました。 (2019.4.15)

ノイエ・ヴァッヘの近くにアメリカの建築家アイ・ミン・ペイが設計したドイツ歴史博物館新館(2003年)があります。


ドイツ歴史博物館新館(2003年) (2019.4.16)


I.・M・ペイ(1917年〜2019年)

         
 ホールは地下へ続き地階から旧館と繋がっています。(2019.4.17)


                   
                 打ち放しコンクリートと丸い開口はカーンのデザインボキャブラリーですが、とてもうまくまとめられています。(2019.4.18) 



案内板があまりないので展示室に行くのにこのエスカレーターで降りて通路を通って旧館側に展示室があるのに気が付くのに時間がかかりました。
(2019.4.19)


              
              旧館中庭にガラスの天井がかけられていました。ルーブルのガラスピラミッドを思い出します。(2019.4.20)

旧博物館の隣にはベルリン大聖堂(1905年)があります。


ベルリン大聖堂(1905年)

少し頭のドーム部分のプロポーションが大きくて私としては不安定な感じがします。 (2019.4.21) 


          近づくとドームの大きさが消えていきます。 (2019.4.22)


               
               エントランス部分の列柱 コリント式です。 (2019.4.23)


           
           内部は大きな空間になっています。バジリカ様式ではありません。

                
                 ドーム部分見上げ 以外に大きな開口が開いていて十分明るい。 (2019.4.24)


                         
                         コリントの柱を三本まとめてより重厚な装飾でバロック様式だと思います。 (2019.4.25)

次はこの旅のもう一つの目的でベルリンから電車で約1時間40分ほど行った、デッサウにあるバウハウス デッサウ校です。


デッサウ駅

デッサウ駅からバウハウスまでは徒歩で10分くらいの距離で駅前に案内もあります。(2019.4.26)


         
         シンプルな建築が見えてきます、 バウハウス デッサウ校です2mほどのキャンティーのテラスが特徴的です。

バウハウスは美術と建築を総合的に教える学校で1919年にワルター・グロピウスを中心にワイマールにて開校された。

詳細は前頁のコラム39を参照ください。(2019.4.27)

デッサウ校に移転してきたのは1925年でデッサウ校の設計はワルター・グロピウスによります。


ヴァルター・グロピウス(1883年〜1969年)  

              
              テラス詳細 (2019.4.28)

                       
                       横連窓のスチールサッシで正にモダニズム建築 (2019.4.29)

道の左右に校舎があって正面のピロティーで道を横切る建物でつながれています。


スチールサッシ部詳細。 FIXの部分と開閉できる部分があります。ペンキによってよくメンテランスされている様で錆びてはいませんでした。
(2019.4.30)


        
        カーテンウォール この面は西面なのですがドイツでは西日は大丈夫なのか?心配です

100年前にこの建物ができた時はとても斬新な建物だったと思います。(2019.5.1)


              
              カーテンウォール部詳細。 スチール製です。(2019.5.2)



道を挟んだ反対側の建物(2019.5.3)


                
               カーテンウォールの建物の南面階段室にBAUHAUSの文字、このアングルの写真が一般的な印象だと思います。(2019.5.4)


この面はグレーの塗装がされています。(2019.5.5)

               
              南から見た外観 方位に対する建物の配置や開口の取り方など大分違っているように感じました。(2019.5.6)



入り口ドアのデザイン 当時モダニズムらしいデザイン 扉の色は赤 (2019.5.7)


         
       内部両開きドアのデザイン 白い扉にステンレスの丸いプレートに 真鍮の丸握り取っ手
       照明のデザインもおもしろい (2019.5.8)


             
             かっての教室 100年近く前のRC造の建物  現在は受付と売店になっています。 (2019.5.9)
                            梁がX方向しかありません、Y方向のはスラブで力を伝えているのか?日本の構造と違った考え方です。

                   
                   階段室のデザイン (2019.5.10)


                       
                       スチール製カーテンウォール (2019.5.11)

                                   
                                  スチールサッシ詳細 よくメンテランスされているのか錆びはない (2019.5.12)  


                 
                バウハウスで学び教官となったマルセル・ブロイヤーの「ワリシーチェアー」が置かれている。  

                  
                マルセル・ブロイヤー (1902年〜1981年) (2019.5.13)

校舎から徒歩20分くらいの所に教授の家が数棟あります、原型の形のみ残して建て替えているようです。

まずはグロピウスの家から


(2019.5.14)


              
              ほとんどフラットに納まっている外部は当時の形状を再現しているか不明です。

内部は住宅ではなくギャラリーになっていて生活空間になっていません。

私としてはとても残念な再生と思います。(2019.5.15)



ミッチェ/シュレーマ邸 (2019.5.16)

この建物は住宅の内部空間が再生されています。

         
         二軒が繋がっています。正面の家には入れませんでした。

左の家には入れました。左に曲がって玄関があります。(2019.5.17)


              
              赤、黄色、ブルーの棚の扉はモダニズム建築らしい(2019.5.18)

                    
                    階段室 82019.5.19)


                    
                    隣には前のミッチェ/シュレーマ邸と同じ建物が工事中でした。

1925年にヴァイマルからデッサウに移転してこれだけ立派な校舎と教授邸を建築して1932年にはデッサウ校は閉鎖しベルリンに移転します。

校長もグロピウスからミース・ファン・デル・ローエに変わっていきます。

その背景にはナチスからの迫害が強くあったようです。

グロピウスも、ミースも、ブロイアーもアメリカに移住しアメリカの近代建築を発展させることとなります。(2019.5.20)
                      

デッサウからベルリンに戻って, 桂離宮を発見したとして知られているブルーノ・タウト(1880年〜1934年)の建物を観に行きます。

           
           ブルーノ・タウト(1880年〜1938年) (2019.5.21)

ブルーノ・タウトはドイツ・ベルリンで活躍した建築家ですが、ナチスの迫害を受け1933年〜1935年まで日本に滞在し

上野伊三郎(早稲田大学建築科卒業後ウィーン大学に留学、分離派のヨゼフ・ホーフマンのウィーン工房に入所、京都にて上野建築事務所を開設

1927年に日本インターナショナル建築会を結成した)の世話で、桂離宮、修学院離宮、伊勢神宮など日本建築を巡り、

「ニッポン ヨーロッパ人の眼で見た」 「日本美の再発見」など著書をだした事で、「桂離宮を発見した」と間違えて伝えられている部分はありますが、

(実際はそれ以前から日本の建築家や、庭園関係者、茶人などは桂離宮の価値評価はすでにされていたので発見者ではない)

しかし彼の出した書物によって日本文化や、日本建築がヨーロッパに伝わったのであろう事は想像できます。

1935年に日本からトルコに移りイスタンブールで亡くなっています。

日本での唯一の建築は 熱海の家「旧日向邸」 が残っている。(2019.5.22)

彼の作品の中で世界遺産になっているブリッツ馬蹄形集合住宅(1925年〜1932年)(U7、Pachimer Allee駅)を見てみます。


まずは航空写真のポスターを見ると全景が把握できます。真ん中の池を囲う馬蹄形の形です。(2019.5.23)

馬蹄形部分の外の平行線部分もタウトぽい建物ですから多分タウトでしょう。

馬蹄形の外からは

          
          タウトらしい色使いで軒下とコーナーの色はブルー(2019.5.24)


                 
                 コーナー部詳細 赤いレンガの枠取りがあります。庇も付いています。(2019.5.25)

                        
                        入り口部分(2019.5.26)


                            
                            真ん中の池と公園部(2019.5.27)


こんな自然の水際魅力的ですが、子供が遊んでいませんでした。(2019.5.28)


     
     馬蹄形内側 真ん中の庭園部はかなり高低差があって低くなっています。(2019.5.29)


         
         低層部で馬蹄形の入り口はレストランの様です。このレストランからの眺めは良さそうですね。

90年前に創られた集合住宅でこれほど豊かな空間はさすが世界遺産に値するものと思います。

日本の新しい団地にこれ以上の物があるだろうか? 街づくりの分野では進歩がないのでは?(2019.5.30)

街の中心の運河沿いにオランダの建築家レム・コールハースが2002年に設計したベルリン・オランダ大使館(S3,5,7Jannowitzbrucke駅)がある。


レム・コールハース(1944年〜) (2019.6.1)


     
     オランダ大使館 (2002年) 

レム・コールハースの建物は階段室やスロープの斜めの床のラインが外壁エレベーションに出て来ていて斬新に見えるのですが、ル・コルビュジェの

ドミノ理論から逸脱したものではなくキャンティーで自由な表現となった外壁面にスロープを持ってきただけだと私は思うのだが。

彼の実際の作品をいくつも見てきたが、私は何故か彼の作品に感激しない。これもやはり同じです。(2019.6.2)


               
               上の階はスロープではなくホールの床の断面かもしれない 上は凹ませ、下わ凸す。(2019.6.3)


                      
                      運河側エレベーション (2019.6.4)


                                 
                                 直角側エレベーション

材料はガラス、アルミ だが 鉄骨造またはRC造のラーメン構造です。(2019.6.5)

ベルリンから郊外列車RS1で40分ほど行くとポツダム駅に到着する。

ポツダム駅から北の丘の上に向かって歩いて20分ほど行くと山上にアインシュタイン塔がある。


アインシュタイン塔(1921年) (2019.6.6)

アインシュタイン塔の設計はポーランド生まれのドイツの建築家エーリヒ・メンデルゾーンがしました。

              
              エーリヒ・メンデルゾーン(1987年〜1953年)

メンデルゾーンもナチスから迫害を受けロンドン・パレスチナへと逃避し、1941年にアメリカサンフランシスコに移り、アメリカで活躍しました。
(2019.6.7)

        
        アインシュタイン塔はアインシュタインの理論を実験で証明するために建てられましたが、規模が小さすぎて実証には至りませんでした。

私の同級生高崎正治はドイツに居た時これを観たそうです。彼の好む範疇だと思います。(2019.6.8)
                
                後ろから見ると白鳥の様です。
                レンガ造の上にコンクリートを塗った造りだそうです。(2019.6.9)

                          
                          正面(2019.6.10)


                                    
                                    階段詳細

吉坂隆正先生のU研究室にも私の同級生竹本忠夫君が居てよくU研究室に遊びに行きました。

たぶんU研の皆さんはこの階段、好きなデイテールだと思います。(2019.6.11)

そしてこの入口の扉も

           
           同じく同級生で象設計集団に居てアトリエ トド を主宰する松井正澄君もたぶんこの扉のディテールを良しとするでしょう。

私は分かりますが、私の立ち寄れない範疇のデザインです。(2019.6.12)

ベルリンに帰り、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジェ、ヴァルター・グロピウスが勤めていたペータ・ベーレンスの事務所が設計した

代表作AEGタービン工場(1910年) (S41,42、Beusselstr駅)に行きます。


ペータ・ベーレンス(1868年〜1940年) (2019.6.13)


残念ながら工事中で足場がかかっていました、たぶん保存再生のための工事だと思います。 (2019.6.14)

ヨーロッパの建物は中世の建物のみではなく近代建築も積極的に保存再生し残していきます、歴史とその価値を本当に理解しているのだと

日本と比べて違いをよく感じることがあります。


足場のかかってない時はこの様なエレベーションになります。 (2019.6.15)

          
          鉄骨造で正面のみ組積造ポイ(実態は塗り壁だと思う)表現になっています。 (2019.6.16)

                
                側面はスチール製のカーテンウォールでモダニズム建築初期の時代性を感じます。 (2019.6.17)

                    
                    正面足元 (2019.6.18)

                           
                           鉄板をリベットで加工した台形の柱 産業革命の時代を感じます。柱脚はピン固定です。
                           (2019.6.19)

                                   
                                   台形の柱の出を庇の出と合わせて納めています。

鉄部はかなり錆が出ていました、メンテランスの工事が終割ると、竣工当時のような緑の柱になっているものと思います。(2019.6.20)

次は1957年にヴァルター・グロピウス、アルバー・アアルト、オスカー・ニーマイヤーなどが設計した棟が並ぶ集合住宅団地インターバウ(U9、Hansaplatz駅)

最初はブタペスト出身でフランスで活躍した建築家ピエール・バゴ(1910年〜2002年)棟です。


ピエール・バゴ棟(1957年) リズミカルなベランダ、ガラス、アルミ、コンクリートの扱いのとてもうまいセンスのある建物です。(2019.6.21)

         
         ピエール・バゴ(1910年〜2002年) (2019.6.22)


             
             一階エントランス 軽快なアプローチ屋根 (2019.6.23)

                   
                   バルコニー手摺納まり アルミパンチングがとても斬新です。私が3歳の時にこの建物が建てられたとは信じがたいです。
                   袖壁のコンクリート壁の薄さたぶん50mm位にも感心しました。 (2019.6.24)

                          
                          一階ピロティー部 低く抑えた高さも、半地下から延びる楕円の柱 (2019.6.25)

次はヴァルター・グロピウス棟


ヴァルター・グロピウス棟(1957年) (2019.6.26)


              
              ヴァルター・グロピウス(1883年〜1969年)  (2019.6.27)


                  
                  2層ごとにまとめられたエレベーション、メゾネットのプランになっているかもしれません。 (2019.6.28)


                            
                            側面から 緩い円を描いたプランです。  (2019.6.29)

次はオスカー・ニーマイヤー棟(1957年)


オスカー・ニーマイヤー棟(1957年) (2019.6.30)


              
              ブラジルの建築家 オスカー・ニーマイヤー(1907年〜2012年)  (2019.7.1)


         
         住居棟とエレベーター棟そしてそれをつなぐブリッジ  (2019.7.2)


                   
                   住宅バルコニー部分 コルビュジェのユニティに近い感じがします。  (2019.7.3)


                            
                            V字の柱と浮かせたスロープ  ニーマイヤーのデザイン力を感じます。
                            住居BOXの底もフラットではありません  (2019.7.4)
 
    
内側から見たV字柱 端部は意外と細い  (2019.7.5)


                   
                   エレベーター棟入り口

ニーマイヤーの大胆なデザインと細部までこだわったディテール ブラジルに行ってニーマイヤーの建築が観たくなります。  (2019.7.6)

次はアルバー・アアルト棟(1957年)


アルバーアアルト棟(1957年) (2019.7.7)


        
        シンプルな面の構成の建物ですが、こちらが正面の様ですが、住宅裏通路側の壁面のデザインの様です。 (2019.7.8)

  
                    
                    こちらがバルコニー側で一般的な正面になります。  (2019.7.9)


                        
                        バルコニーを囲った住宅の構成はアアルトらしい  (2019.7.10)


                           
                           一階ピロティー部分 (2019.7.11)

ベルリンの街にはかって東西を分けていたベルリンの壁が現在でも所々残っています。


ホテル近くにあったベルリンの壁 1989年11月に壁の崩壊をきっかけに一年後の1990年10月に東西ドイツの統一が実現した。
(2019.7.12)

                 
                 壁越しに現代建築が見える、かってはこんな風に東の人たちは眺めていたのであろうか?(2019.7.13)

かっての東ベルリンの雰囲気を残すのがアレクサンダー広場とその中心に建つテレ棟です。


アレクサンダー広場(2019.7.14)

                      
                      権威の象徴の様なテレビ塔(1969年)
                      共産主義国を思わせるデザインです。(2019.7.15)

この近くに赤の市庁舎がある

                            
                       共産党の市庁舎と思ったのですが、赤いレンガの市庁舎で「赤の市庁舎」と呼ばれているらしい。(1869年)

この辺りはニコライ地区と言ってベルリンの中ではもっとも古くからあった地域らしい。(2019.7.16)

その中心にニコライ聖堂がある。


レンガ造の上に双頭のとんがり帽子屋根(1380年)(2019.7.17)


            
            リブボールトに赤、緑、紺の色分けがして会ってかわいらしい感じがします。

リブボールトからはゴシックの様ですが、ゴシックにしては天井が低く感じます。(2019.7.18)


                         
                         見上げた感じはゴシックです。(2019.7.19)


                                   
                                   柱詳細

これでドイツ終わります。(2019.7.20)


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