建築 雑コラム 51
Architecture The s Column
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沖縄
新型コロナも3年目の現在も依然終息しそうもない、当分海外には視察できそうもないので国内の建築を見ていきます。
まずは沖縄です、2017年に行きましたのでもう5年前になります。
見てきた順に記載します。
1958年に竣工した聖クララ教会 (沖縄県島尻郡与那原町与那原3090-5)です。
聖クララ教会 (1958年竣工)
丘の上にある教会で隣地に修道院もある、設計は在日米陸軍技術部隊建設部に所属していた片岡献でアメリカの組織事務所SOMの協力で
実現したと言われています。 (2022.4.21)
片流れのシンプルな建物で妻側のブロックは沖縄建築によく見る花ブロックをシンプルにしたデザインで納得しました。
玄関棟 奥に片流れの聖堂が見えます (2022.4.22)
低層の玄関等の奥に中庭があってその奥に片流れの聖堂があります
中庭 奥に片流れの聖堂 (2022.4.23)
明るい聖堂 (2022.4.24)
正面 対象ではなくステンドグラス側に開放感を意識してデザインされています。 (2022.4.25)
透明感の強いステンドグラス 丘下に広がる街並みがステンドグラス越しに広がる (2022.4.26)
ステンドグラスと反対側は低く抑えられた通路部分があってその奥は中庭に繋がっています (2022.4.27)
片流れの低い方には敷地に高低差が付いていて聖堂へのエントランスになっています (2022.4.28)
外から見たエントランス部分 (2022.4.29)
ステンドグラス越しに見える風景 (2022.4.30)
窓越しの街並み
築60年の教会ですがモダニズムのとても共感できる教会です。 ちなみにDOCOMOMOの150選に選ばれています。
沖縄で是非見ていただきたい掛物の一つです。 (2022.5.1)
次は世界遺産の
斎場御獄(せいふぁーうたぎ)を紹介します。
御獄とは西南諸島に広がる聖地を意味しています、斎場御獄は琉球王国最高の聖地と言われています。
御嶽の中には六つのイビ(神域)があります。
この六カ所を参拝しながら、国家繁栄・安寧、五穀豊穣、航海安全などを神に祈願します。
案内図 (2022.5.2)
まずは斎場御獄から海を見た風景です。
斎場御獄から海を見た風景 青い沖縄の海です。 (2022.5.3)
最初の神域(イビ) 大庫理(ウフグーイ) 大岩に向かって前面に長い平石があってここでお祈りするみたいです。 (2022.5.4)
原生林の中をめぐってゆきます。 (2022.5.5)
二番目の神域(イビ) 寄満(ユインチ) 少しえぐれた部分にお祈りする場があります。 (2022.5.6)
お祈りされる家族が見えました。 今も続いている風習で落ち着いた様になっています。 (2022.5.7)
三番と4番の神域(イビ)は 鍾乳洞から落ちる雫を受ける二つの壺です (2022.5.8)
手前がアマダユルアシカヌピーの壺, 奥がシキヨダユルアマガヌピーの壺 (2022.5.9)
もう少し行きますと
三角の石の割れ目があってその奥に5番目の三庫理(サングーイ)と6番目のチョウノハナがあります。
(2022.5.10)
この三角からの光に正に神聖を感じるのは私一人ではないと思います。
(2022.5.11)
次も世界遺産の
「織名園」です。
世界遺産
織名園は首里城の南にある琉球王家最大の別邸で中国や日本の使者を接待する施設として使われた、
池を中心として日本庭園に倣った「回遊式庭園」になっている、
しかし主屋は沖縄式の建物で、池にかかる橋や池の中島に建つ建物は中国式になっていて琉球王朝の立ち位置と
それを違和感なく融合した正にアジア式の別邸です。 (2022.5.12)
まずは入口からしばらく参道を進みます。
石敷きの参道と枯れていた小川 (2022.5.13)
しばらく行くと左に 「育徳泉(いくとくせん」
水源の一つの育徳泉 曲線のデザインがとてもいい感じです。左から三段下りる階段は高さを抑えて優しい階段です。
(2022.5.14)
もう少し先の正面に主屋、御殿が見えてきます
御殿 (2022.5.15)
御殿の右に池があります
中国式の橋のかかる池 (2022.5.16)
池の中島には
中島に建つ六角形の中国式あずまや (2022.5.17)
では御殿(主屋) から
寄棟の屋根がいくつか繋がれた御殿
左の棟から玄関 玄関に付随する前の座、前の間、などがありその奥は住まい、及び調理場、
右の棟が接待用の部屋で三番座、二番座、そして一番右に一番座の主座があります。
玄関棟と接待用主棟をつなぐ廊下部分に跳ね上げ窓があります。 (2022.5.18)
外観 (2022.5.19)
平面図 (2022.5.20)
外壁の外に柱があり軒を深くしてあります。 雨仕舞そして熱い日射を防ぎ 全面開放の部屋とつながります
(2022.5.21)
素焼きの沖縄瓦に漆喰で隙間なく塗りこめてあります、台風でも漏れないのでしょう
棟の納まりもきれいです (2022.5.22)
根元が自然の納まりで藤森さんの建築にもこんなのあったように思います (2022.5.23)
しっかり組まれた軒 垂木も太くピッチも細かい (2022.5.24)
つなぎ廊下部 (2022.5.25)
内側からの跳ね出し窓 丁度目の高さで庭が見えるようになっている (2022.5.26)
廊下部跳ね出し窓の反対側に中庭がある (2022.5.27)
.
接待用棟手前から三の座、二の座、一の座 (2022.5.28)
接待用棟縁側 玄関棟より柱が太い (2022.5.29)
床の間と違い棚のついた部屋 日本間を意識しているのかもしれません (2022.5.30)
広い調理場 (2022.5.31)
外に出て庭園を見てみます。
中島の中国風あずまやと池越の主屋 (2022.6.1)
池をまたぐ変わった形の太鼓橋二つ (2022.6.2)
中国風あずまやと太鼓橋 (2022.6.3)
.
六角形の中国風あずまや 智被いてよく見ると日本的なところもちらほら (2022.6.4)
シンプルな太鼓橋 (2022.6.5)
次は象設計集団のうるま市石川公園です
海岸に描かれた同心円の重なったグランドデザイン (2022.6.6)
6mくらいの高低差があります
何処か私の記憶にあるデザインです。
思い出すと私が東京で勤めている時早稲田産業専門学校の卒業設計を私の下宿でしていました同級生の杉田君が
産専の講師をしてみえた大竹ジュニアから象設計集団に来て手伝うように言われて私もお供でついて行った所
突然模型の材料を買って来いと言われ創った模型がこの石川公園の模型だったことを思い出しました。
私はその当時菊竹清訓先生が好きでしたので象設計にはあまり興味がなくこの模型だけの縁になりましたが、
杉田君は象設計集団に入所して名護市庁舎や進修館などの時期を象設計集団で経験していました。
また杉田君を追って一年後に同級生の松井君も象設計集団に入所して山口県の錦グリーンパレスの現場を担当しています。
(2022.6.7)
地下に更衣室やシャワー室があってトップライトが所々にあります (2022.6.8)
遠景 (2022.6.9)
池ですが水はありませんでした (2022.6.10)
広い公園のところどころに同じデザインのモニュメントがあります (2022.6.11)
地下にある更衣室への出入り口 かなり荒廃しています (2022.6.12)
更衣室 荒廃していて現在は使われていないようです (2022.6.13)
公園の道のモニュメント
現在はうるま市石川公園となっていますが、1980年の竣工時は石川白浜原公園と言っていました、懐かしさと共に荒廃の寂しさを感じました
またその当時の象設計集団の汗にまみれたこれでもかと言うようにデザイン跡を残す作風を思い浮かべることが出来ました (2022.6.14)
次は名護市庁舎です。同じく象設計集団の代表作です。
緑と一体化して建築が隠れつつあるデザイン (1981年) (2022.6.15)
南東部分外観 赤と白の縞模様が 緑と良くマッチしていると感じる (2022.6.16)
南中央西の外観 (2022.6.17)
一階中央のテラスルーバー (2022.6.18)
3階バルコニーのルーバー (2022.6.19)
4階屋上庭園 (2022.6.20)
上から見たルーバー赤いブロックルーバーが光を絶妙にコントロールしている
ルーバーをいくつか見ていただきましたが、それぞれの場所で微妙に違っていて場所と太陽の角度など絶妙に計算されたデザインにかんしんしました
(2022.6.21)
北側外観 吹き寄せになった柱に沖縄の民家の屋根に乗るシーサーがついています
モダニズム建築には無い表現で 自然と一体化した感じがします
正にル・コルビュジェがサボア邸のモダニズムからチャンディガールのデザインに変化していった経緯とダブります。
象設計集団の大竹さん、樋口さん、冨田さんはル。コルビュジェの弟子の吉坂隆正さんの事務所U研究室の出身で繋がりを感じます。
(2022.6.22)
北側スロープからの外観 (2022.6.23)
スロープ最上の先にバルコニーがあります (2022.6.24)
柱に付いたシーサー (2022.6.25)
シーサー詳細 (2022.6.26)
柱脚詳細 座れるように段々が付いている (2022.6.27)
最上階テラスの天井が抜けた部分 (2022.6.28)
1階市役所エントランス部分 (2022.6.29)
エントランス 正面 (2022.6.30)
役所内部 天井から下がった部分は風の道のダクトからところどころ吹き出し口がある
エアコンなしで最初デザインされていたようですが、エアコンは追加されついていました (2022.7.1)
空洞から四角い吹出し口 壁から突き出した照明のデザインは象設計集団の建物でよく見るデザイン
(2022.7.2)
フクロウをデザインした取手 フクロウもU研究室のアテネフランセから脈々と続くデザインモチーフです (2022.7.3)
最後に気も日の良いテラスで一服してください
気持ちの良いテラス (2022.7.4)
次は同じく象設計集団の設計の今帰仁中央公民館です
他しか名護市庁舎より以前に設計されたたてものだとおもいます
今帰仁中央公民館 (1975年) (2022.7.5)
前方に三本のトーテンポール風のものが建っています (2022.7.6)
赤い列柱が並んでいます (2022.7.7)
沖縄の民家の縁側のような空間です (2022.7.8)
内側より三本のトーテンポール風の物を見る (2022.7.9)
柱の根元は人が座れるような段がついています、これは名護市庁舎、宮代小学校でもありました。
(2022.7.10)
屋根は現在何にもない屋根ですが、実は当初はブーゲンベリアが生い茂っている屋根でした、 (2022.7.11)
インターネットからそのお当時の写真を見つけましたので添付します、
屋根前面に這いつくしたブーゲンベリア
こちらの方が涼しそうで、建築としても面白いのですが、何か問題があって撤去されたのでしょう (2022.7.12)
名残のブーゲンベリアを見つけました (2022.7.13)
柱の上部には貝殻で渦巻き状のデザイン 象設計集団は手垢の様なものを残したがる癖があります (2022.7.14)
食堂風なスペース 半屋外の様になっています (2022.7.15)
公民館ホールスペース格子状の梁が広い空間を覆っています (2022.7.16)
次は同じ今帰仁にあります世界遺産の今帰仁場です
今帰仁城跡
微妙な曲線の城壁はヨーロッパでもなく日本でもない沖縄の城壁なのだとおもいます。
城を沖縄ではグスクと言います。
このグスク13世紀の物ですから鎌倉時代の遺跡です 詳細はホームページからご覧ください 今帰仁城跡 (2022.7.17)
何重の城壁を抜ける門 内側から見るとへこみが3つ (2022.7.18)
外側から見ると門は一つ 左右に銃口があります (2022.7.19)
うねる城壁 (2022.7.20)
城壁の内側に建物跡 (2022.7.21)
掘建て基礎の様で木造の建物だったと思われます (2022.7.22)
名護市の北西に沖縄の集落の原形の名残のある備瀬があります
フクギの並木は絵になります
フクギ並木 (2022.7.23)
観光用に水牛車もあります (2022.7.24)
フクギの防風林に囲まれた軒の深い寄棟の住宅は沖縄らしい (2022.7.25)
沖縄の民家の原形を感じます (2022.7.26)
備瀬の近くに沖縄観光地で有名な美ら海水族館があります
美ら海水族館
設計は槙文彦先生と思っていましたが、槙さんらしいところがありません (2022.7.27)
中央通路部分 とても大きく複数の建物が繋がって構成されています (2022.7.28)
帰ってから調べてみると槙さんの作った水族館は壊されなくなっていて 今のは国場幸房+国建の設計でした。
複雑な屋根のある建物 (2022.7.29)
いろいろ工夫されていますが少しうるさい感じがします (2022.7.30)
壁面緑化まで (2022.7.31)
デザインの統一性がなくいまいちでした
槙さんの水族館の一部を残したのか? 雑誌で見かけた風景 (2022.8.1)
ジンベイザメの泳ぐ巨大な水槽 (2022.8.2)
この場所は1975年に沖縄国際海洋博覧会が行われた場所で現在は海洋博公園と呼ばれています
海洋博の写真を添付します。
海洋博のシンボル菊竹清則先生のアクアポリスです
アクアポリス (2022.8.3)
槙先生の設計された旧水族館
旧水族館 (2022.8.4)
旧水族館内部 (2022.8.5)
次は世界遺産の勝連城跡と中城城跡を紹介します
勝連城跡
沖縄本島中央のうるま市に位置します (2022.8.6)
上部から城壁の断面がわかいます (2022.8.7)
建物跡 かなり大きな建物だったとおもわれます (2022.8.8)
最上部からの眺めの良い城跡(ぐすく)です (2022.8.9)
中城城跡
勝連城跡から少し南に下って中頭郡北中城村大城に中城城跡はあります (2022.8.10)
場内はいくつかに区画されていてそれぞれの城壁にはくり抜かれた門があります (2022.8.11)
道の付いた王壁は中国の万里の長城の城壁を連想できます (2022.8.12)
しっかりしt城壁です (2022.8.13)
上に上がるほど門も低くなってきます (2022.8.14)
建物が建っていたら全然違った風景だったと思います (2022.8.15)
城壁の上からの景色は何処のグスクも良いです (2022.8.16)
沖縄のどの城跡(グスク)でも感じるのですが、沖縄の石工の技術の高さです
隙間なく積まれたこの石積みは日本本土の石工より技術が高かったかもしれません (2022.8.17)
次は鵜の宜野湾市にります建築家大谷幸男設計の沖縄コンベンションセンターです
沖縄コンベンションセンター (1987年) (2022.8.18)
大谷幸男 (1924年〜2013年) (2022.8.19)
大谷先生は丹下健三の事務所で右腕として働かれ独立後の代表作は国立京都国際会館になります
国立京都国際会館 (2022.8.20)
沖縄コンベンションセンターも彼の代表作です、大谷節を聞いているような独特のひょうげんがあります
展示場や会議場など複数の建築群でこうせいされています (2022.8.21)
建物と建物をつなぐ通路部 (2022.8.22)
展示場 (2022.8.23)
中庭部 (2022.8.24)
大胆な庇 (2022.8.25)
展示場内部 この日はどこか大学の入学式が行われていたようです (2022.8.26)
梁と外壁ラインを合わせず小梁を延長して庇部の構造となっている (2022.8.27)
次は浦添市の市立図書館です。
浦添氏市立図書館 (1984年) (2002.8.28)
設計は建築家内井昭蔵です
内井昭蔵 (1933年〜2002年) (2002.8.29)
ブーゲンベリアの棚のアーケードが前面にあってその裏に入口があります (2002.8.30)
左に曲がると入り口です あまり主張しない建物です。 (2002.8.31)
内部 児童室 (2002.9.1)
開架書庫 内井さんらしいアール天井 (2002.9.2)
吹き抜け部 正面の階段木手すりが内井さんらしい (2002.9.3)
2階書庫 読書椅子もらしさを感じます (2002.9.4)
2階書庫から
この建物は外観より内部空間が充実しています (2002.9.5)
2階正面より1階書架を見る (2002.9.6)
小さなテーブルの付いて窓 ここに座って本読みたくなります (2002.9.7)
カウンターの付いた木手すり (2002.9.8)
読書椅子 (2002.9.9)
インフォメーションカウンター
内井さんの建物は多くの思いが詰まっていて語りかけてくるようです (2002.9.10)
次は同じく浦添市にあります奥立技術劇場おきなわです。
国立劇場おきなわ (2003年) (2022.9.11)
外壁を覆う網目模様は迫力があります。 設計は高松伸です。
高松伸 (1948年〜) (2022.9.12)
この網目は沖縄の風通しをイメージさせますが、実際は外壁の外に取り付けられた日よけ網目外壁と理解した方が良いでしょう
(2022.9.13)
打放コンクリートもとてもきれいで詳細もとてもきれいに納まっています。 (2022.9.14)
網目外壁を見上げてみました 植物を連想しました、アールヌーボ? (2022.9.15)
玄関ホール 吹抜ホール正面から光 左に階段 高松さんにしては一般解? (2022.9.16)
平面図 玄関ホール左に大劇場、左に小劇場
外壁から想像できないくらい一般的なプランでその素直さにびっくりしました。 (2022.9.17)
階段詳細 きれいな納まりです (2022.9.18)
吹抜ホール2階から入り口側を見る (2022.9.19)
大劇場 やはりオーソドックスなほーるです
私の持っていた高松伸のイメージと少し違った建物でした。 (2022.9.20)
この劇場の向かいに同じ卯高松伸が設計した浦添市産業振興センターがあります
浦添市産業振興センター 結の街 (2005年)
劇場とは全く違った外観です 同じ建築家ですから景観を考えると ? と 思いますが、全く違います
ガラスのファサードから1飛び出したキャンティーのボックス 人を驚かすデザイン? (2022.9.21)
側面から見ると RC打放のボックスの前に躯体から離されたガラスのスクリーン (2022.9.22)
キャンティー部を下から見る とにかく圧倒される (2022.9.23)
玄関近く躯体から離れたガラススクリーンとの間にRC打放の格子 (2022.9.24)
1階 天井は高く多分2層分の階高8mくらいか? (2022.9.25)
反対側から見る (2022.9.26)
きれいな階段を見つけました (2022.9.27)
2階にある階段これもきれいです 床はすりガラスです (2022.9.28)
詳細 段板を吊っています ディテールの手本のような階段です (2022.9.29)
踊り場より上は鉄板を折り曲げても脳を吊っています 私は下部の納まりで統一した方が良かったと思います
この建物は単体としてはとても質の高い建物に仕上がっていますが、高松伸のイメージからはるか遠く竹中工務店がするような建物に見えました。
(2022.9.30)
次は那覇市立壺屋焼物博物館です
設計は那覇市出身の建築家真喜志好一(1943年〜)です
真喜志好一(1943年〜) (2022.10.1)
那覇市立壺屋焼物博物館 正面 (2022.10.2)
側面 (2022.10.3)
建物に並行して屋上まで続く階段 (2022.10.4)
階段 (2022.10.5)
階段上部 (2022.10.6)
屋上庭園 (2022.10.7)
焼物展示室 (2022.10.8)
外部階段と並行して内部階段もある (2022.10.9)
沖縄の民家での壺屋 (2022.10.10)
吹抜 階段部分 (2022.10.11)
次は黒川紀章が設計した沖縄県庁舎です
黒川紀章 (1934年〜2007年) (2022.10.12)
沖縄県庁舎 (1990年)
波打つ屋根が独特です (2022.10.13)
配置プラン
配置プランを見ると二つの藤賀連れて配置され中央に吹抜があります (2022.10.14)
最上階から吹き抜け部分を見る
波打つ屋根は高さの違うエレベーターピットを一体化するルーバーで屋根ではありませんでした (2022.10.15)
1階ホール吹抜の部分が天窓で再考されています (2022.10.16)
1階ホール 外部に開放的で丹下先生のピロティーとつながったDNAを感じます (2022.10.17)
最上階展望ホール
合理的で構成がしっかりした建物です、屋根ルーバーだけで黒川色を出しているのはさすがと思います (2022.10.18)
次は安藤忠雄が1984年に国際通りの一角に設計したフェスティバルビル(現在は沖縄OPAビル)です
市場本通りの隣のビルです 現在は白と赤の色に塗装されています (2022.10.19)
安藤さんの建物も塗装されると建物の良さが激減します。 (2022.10.20)
竣工当時の写真を見ると違いが分かります
安藤さんらしい建物です
四角い穴あきブロックを使った沖縄の風土を意識したたてものです (2022.10.21)
安藤忠雄 (1941年〜) (2022.10.22)
建物の中に入ると中央に吹抜があって屋根のない外部、住吉の住宅と同じ構成です
今は白いテント屋根がつけられています (2022.10.23)
穴あきブロックは残っています (2022.10.24)
屋上はア飲食店街になっています 当初の面影を感じれる空間です (2022.10.25)
大きな植物もあります (2022.10.26)
白いテント屋根の掛けられた部分 (2022.10.27)
下から見た白テント屋根
安藤忠雄の若い息吹を所々見つける事はできますが、竣工当初に見たかった建物でした (2022.10.28)
隣の市場本通りの空間もとても良かったのでのせておきます
市場本通り (2022.10.29)
次は2019年10月31日に火災で全焼した首里城です
私が来訪したのは2017年4月ですので焼失前の写真です
守礼門 この門は火災にあってなく現存していると思います (2022.10.30)
歓会門 城郭に入る第一の門 使者を歓迎する門を意味します (2022.10.31)
瑞泉門 第二の門で門の右側に湧水があることから瑞泉と言われているらしい (2022.11.1)
瑞泉門から正面久慶門 左歓会門を見る (2022.11.2)
広福門 第4の門 (2022.11.3)
正殿 (2022.11.4)
中央広場の左の建物 (2022.11.5)
正殿正面 (2022.11.6)
正面下部 階段になっている (2022.11.7)
正殿内にあった構造模型 (2022.11.8)
広場の模型 中国の様式に近い (2022.11.9)
民族衣装を着た門衛 (2022.11.10)
以前にも書きましたが沖縄の石積の技術はとても高度で感心します (2022.11.11)
紙も刺せないくらい細い目地 良く硬い石をこんな精度で仕上げたものです
まだ見ていませんが、エジプトの石積も紙が刺せないくらい細い目地だそうです (2022.11.12)
首里城のホームページから火災前と火災後の違いが分かる写真がありましたので添付します
火災前 (2022.11.13)
火災後
沖縄県の復興計画では令和13年を目標に復興計画されているようです早く再開されることを期待します (2022.11.14)
首里城の近くに原広司が設計した城西小学校があります
原広司 (1936年〜) (2022.11.15)
城西小学校 (1985年) (2022.11.16)
上空から見ますと配置が良くわかり、世界の集落を散策した原が沖縄の集落をベースに計画された事が良くわかります
配置が良くわかる俯瞰写真 (2022.11.17)
柱梁の格子の上に寄棟屋根が乗っています (2022.11.18)
近づくと格子しか見えなくなります (2022.11.19)
低層エリアもあってこちらから見ると沖縄の集落ぽい (2022.11.20)
この建物は少し高い位置から水戸方が良い建物です (2022.11.21)
次に浦添市美術館をご紹介します
設計は内井昭蔵です
内井昭蔵 (1933年〜2002年) (2022.11.22)
奥まった敷地です 内井さんらしい六角形の建物があります (2022.11.23)
六角形の建物を横から見る (2022.11.24)
本館は奥にあって塔が見える (2022.11.25)
右側のアプローチほうずえも内井さんらしい (2022.11.26)
本館入り口 六角形に丸い庇 (2022.11.27)
棟も六角形 (2022.11.28)
浦より見ると六角形の屋根が幾つかあってモンゴルのテントの集落の様な感じがっする (2022.11.29)
裏側には敷地に高低差があってピロティーになっている (2022.11.30)
空中に浮いた渡り部分 丸みをつけ庇が内井さんらしい (2022.12.1)
ピロティーから見る渡り下部 (2022.12.2)
裏からの全景 (2022.12.3)
玄関ホール (2022.12.4)
天井 (2022.12.5)
トップライト詳細 六角形 (2022.12.6)
ピロティー部は八角形のデザイン(2022.12.7)
展示室を結ぶ廊下結節点 (2022.12.8)
ホール (2022.12.9)
上部トップライト詳細 2階は図書室になっている (2022.12.10)
本棚のデザインも内井さんらしい (2022.12.11)
い階ホールから2階図書室を見る (2022.12.12)
通路部詳細 木製の椅子 下部は空調吹出し口か? (2022.12.13)
老化から中庭を見る (2022.12.14)
室名札のデザイン (2022.12.15)
次は浦添市美術館の隣にあります てだこホール 設計はかみもり設計を中心とした浦添市の設計事務所のJVのたてものです
てだこホール 円形と後ろに台形の建物
こんなに大きな建物を地域の設計事務所のJVで設計できるのはとてもうらやましい環境です (2022.12.16)
エントランス (2022.12.17)
頑張ってはいるが少しうるさいデザインで気になります (2022.12.18)
裏から見た (2022.12.19)
もう20年位前になりますが八重山諸島に行きました、時間の流れの全く違う世界でまた行きたいと思っていますがなかなか行けません
石垣島からお薦めスポットを御紹介します
まずは前川国男設計の石垣市市民会館
前川国男 (1905年〜1986年) (2022.12.20)
石垣市民会館 (1985年) (2022.12.21)
エントランス 打放で前川さんらしい (2022.12.22)
ホール (2022.12.23)
石垣島で一番お薦めのスポットは川平湾(かびらわん)です。
川平湾 (2022.12.24)
とても水がきれいでグラスボートで海底を見ながら観光できます。 (2022.12.25)
次は西表島です、
まずは浦内川のジャングルクルーズです
内川のジャングルクルーズ マングローブの原生林から上流へ行きます本当に人の手の入っていない原生林です。
(2022.12.26)
次は星形の砂がある星砂の浜です
星砂の浜 (2022.12.27)
こんな砂です (2022.12.28)
次は竹冨島デス
赤茶色の瓦の寄棟の集落の景観は最高です (2022.12.29)
台風の強風を避けるための石積の塀に囲まれた民家 (2022.12.30)
今年の最後は竹冨島の西桟橋の夕日です
西桟橋の夕日 (2022.12.31)
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