建築 雑コラム 35
Architecture The s Column
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2018年 新年明けましておめでとうございます。
ヴェネツィア サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会 アンドレーア・パッラーディオ(1508年〜1580年) (2018.1.1)
イタリアには以前にも行きましたが、ツアーではなく自分の足でじっくりと観て回りたくて、
昨年6月にイタリア北部、11月にイタリア中部と分けてじっくりと観て楽しんで来ました。
まずは イタリア北部からご案内します。
まずは最初に入りました、ミラノから始めます。(2018.1.2)
ミラノ中央駅(1931年)
ミラノ中央駅は1912年コンペの優勝者ウリッセ・スタッキーニによって設計されましたが、第一次世界大戦の影響で工事は中断し
1925年に再開し1931年に竣工され、その後幾度か修復されて現在に至っています。(2018.1.3)
トップライトの付いたドームが前面200m横たわっています。(2018.1.4)
その奥に列車の並ぶホームを鉄骨のアーケードが続きます。
ガッレリーア・デッレ・カロッツェ 鉄骨とガラスのヨーロッパの近代の息吹を感じるホーム(2018.1.5)
駅の前の広場の右には「建築を愛しなさい」の著書で有名なイタリアの建築家ジオ・ポンティの代表作のピレリ・ビル(1958年)がある。
ジオ・ポンティ(1891年〜1979年)(2018.1.6)
ピレリ・ビル(1958年) (2018.1.7)
タイヤで有名なピレリ社の本部事務所ビルです。この後紹介しますサンカルロ病院の教会でも同じような六角形の平面の建物です。
たぶんこの六角形をジオ・ポンティが愛した形なのでしょう。
1958年に竣工したカーテンウォールの高層ビルで、日本の初めての高層ビルは霞が関ビルで1967年竣工ですから約10年早いその当時最先端のビル
だったと思われます。
下部詳細
Gio Ponti の名前が載る銘板(2018.1.8)
プロポーションが非常に良いアルミのカーテンウォール (2018.1.9)
両サイドの三角部分の外壁はグレーの石です。(2018.1.9)
この建物を観た時、東京のランド事務所で働いていた時近くにあった 吉村順三設計の青山タワービルを思い出しました。
同じ六角形のアルミの外壁のビルです。その当時私の好きなビルのうちの一つでしたが、このピレリ・ビルと比べるとピレリ・ビルの方がきれいです。
青山タワービル 吉村順三 (1969年) (2018.1.10)
ジオ・ポンティーの六角形の建物をもう一つ紹介します。
ミラノ市内の総合病院サンカルロ病院の一角にある教会です。(地下鉄M5、S.Siro Stadio駅)
病院の敷地の端に建つサンカルロ病院礼拝堂(1969年)(2018.1.11)
六角形の平面に六角形の窓(2018.1.12)
内部 丁寧に掃除メンテランスされていましたが、空間的には何か落ち着かない(2018.1.13)
天井も中央がひろく端部は狭くまた高くなって複雑な形態です。(2018.1.14)
それにしても六角形が好きです、同じ六角形でも私はフランク・ロイド・ライトの六角形の方が好きです。(2018.1.15)
次は最近テレビのCMでもバックに出てくるイタリアの建築家ステファノ・ボエリのボスコ・ベルティカ(垂直の森)です、ミラノの街の中心にあってとても目立ちます。
ステファノ・ボエリ(1956年〜) (2018.1.16)
ボスコ・ベルティカ(垂直の森)(2014年) (地下鉄M5 Garibaldi FS 駅)(2018.1.17)
森の様なビル この様なイメージはサスティナブルな時代の多くの建築家がイメージしてきたが現実化されたものはこれが初めてです。
緑化が維持できていることが素晴らしいと思います。
ステファノ・ボエリの建物はフランスのマルセイユでも見ましたが(ヴィラ・メディテラネ)、このボスコ・ベルティカと方向性が全く違いますが、
この作家の思いっきりの良さは共通しています。
マルセイユ、ヴィラ・メディテラネ (2018.1.18)
3mほどのキャンティーのベランダが緑化されています。(2018.1.19)
大きな木も植わっていますがそんなに厚い客土もなさそうだし木の固定も散水も工夫してないとこんなに活き活きとできない。
よく見ると所々にステンレスワイヤーがこれで木を支えているのか?
この建物の緑化のノウハウが一般化するとガラスの森の都市から、緑のビルが建ち並ぶ都市も21世紀の末にはあり得るかもしれない。
(2018.1.20)
この地域は再開発が現在進んでいるポルタ・ヌォーボア地域の一角で新しい建物が多く集まる地域です。
ユニクレッジト銀行ビル ガラスの円弧状のビルが二つ並ぶツインタワー(2018.1.21)
アメリカの建築家シーザー・ペリの設計です。
シーザー・ペリ (1926年〜)(2018.1.22)
円弧の外側のガラスの外壁は独立した壁でダブルスキンになっている(2018.1.23)
円弧の内側 メンテランス用のデッキも付いている(2018.1.24)
下部噴水と池のある公園(2018.1.25)
作者は分かりませんがこのポルタ・ヌォーボア地域に建つ他の建物もご紹介します。
木の集成材で創られたホールの建物(2018.1.26)
RC造で大きな庇と枠、内側はガラスの 私の好きなシンプルなデザインの建物(2018.1.27)
白いベランダの集合住宅(2018.1.29)
グラディエーションのフィルムの貼られたガラス手すり ベランダが浮いているような錯覚がする(2018.1.30)
地下鉄M1 S.Leonardo駅 を降りて200mほど行くとガララテーゼの集合住宅があります。
アルド・ロッシ棟から観ていきましょう。
アルド・ロッシ棟 (1974年)1層と2層ピロティー部分がある。北面(2018.1.31)
アルド・ロッシ(1931年〜1997年)
南面 白い壁と2mピッチの壁柱の列柱はとても印象的な影を映し出す。(2018.2.1)
真四角の開口もこの当時よく流行った(2018.2.2)
たぶん2スパンで1部屋になっていると思いますが、シンプルすぎて生活感がなく住まいの要素が見受けられない。
よく見ると左2スパンはベランダになっていて、右2スパンは部屋になっています、シャッターがとてもシンプルに納まっています。(2018.2.3)
ピロティー部分の列柱 とても美しいが 無駄なスペースにも見えます。(2018.2.4)
アルド・ロッシ棟の隣に全く趣の違う カルロ・アイモニーノ棟が建っています。
真っ白なアルド・ロッシ棟と全く違う 土色のブラウンの色のカルロ・アイモニーノ棟(1974年)(2018.2.5)
形もいろんな家のタイプが集合したことが良くわかる複雑な形をしています。
イタリアの建築家 カルロ・アイモニーノ(1926年〜2010年)(2018.2.6)
別のカルロ・アイモニーノ棟(アルド・ロッシ棟の向いに建つのでピロティーの列柱でデザインの同調を図っているが全く別物
ピロティー、二層のガラスブロック、連相窓などモダニズム建築のボキャブラリーが複雑にかつ凹凸に配置されている(2018.2.7)
窓部詳細 この窓シャッターはとてもシンプルに納まっている(2018.2.8)
棟と棟のつなぎ部分に設けられた広場、日本の象設計集団の広場を思い出した
また、ローマ時代の劇場もこれに近い
広場客席下の通路空間(2018.2.9)
ピロティー部 左部は全て黄色く、右部分は全てオレンジ色に塗られている(2018.2.10)
モノクロ写真で見るとアルド・ロッシのピロティーに見えますが、全てオレンジ色に塗られた刺激的な空間
またしても、象設計集団の宮代小学校の赤い列柱を思い出してしまった。
アルド・ロッシ棟とカルロ・アイモニーノ棟の、比較はモダニズム建築を考えるのにとても良い対照的な建築です。
アルド・ロッシ棟は引き算でデザインされ、カルロ・アイモニーノ棟は足し算でデザインされています。
引き算でデザインする建築家はミース・ファン・デル・ローエ、初期のル・コルビュジェ、ヘリット・リートフェルト、日本では安藤忠雄、谷口吉生などがいます。
足し算でデザインする建築家はアントニ・ガウディー、フランク・ロイド・ライト、日本では村野藤吾、象設計集団などがいます。(2018.2.11)
アルド・ロッシ棟とカルロ・アイモニーノ棟どちらの建物が棲みやすそうかと考えると私はカルロ・アイモニーノ棟かもしれません、
アルド・ロッシ棟では私では少し肩ぐるしそうな生活になるのではと思います。
アルド・ロッシもその後1993年日本で設計したポートモールアピタ港店では赤、オレンジ、緑の色を塗り分けた建物をしていて、引き算の建物から変化している。
赤、オレンジ、緑の色を塗り分けたポートモールアピタ港店名古屋 (1993年)(2018.2.12)
最近の新しい市街地の一つに 地下鉄M5 Tre Torri駅 を降りると磯崎新、ザハ・ハビット、ダニエル・リベスキンドなどが関わっている
シティーライフミラノ地域があります。
集合住宅、オフィースタワー、複合施設、公園が一体に計画され現在も建設途中の新しい地域です。
ザハ・ハビットが設計した 集合住宅 から観ていきましょう。
シティーライフミラノ (2013年) ザハ・ハビット (2018.2.13)
ザハ・ハビット (1950年〜2016年)
RC造で外壁は繊維コンクリートパネルと天然木パネルの組み合わせでデザインされている。
よく見るとザハ・ハビットらしい流線的なバルコニーが特徴ですが建物の基本は上階が細くなったラーメン構造でバルコニーのみが変形したデザインに
なっている様に思われます。(2018.2.14)
外観からの印象ではザハ・ハビットの良さが今一つ伝わってきません。
変形したバルコニー 黒っぽい部分はチークぽい色の天然木パネル (2018.2.15)
下から見上げた ザハ・ハビットらしくない曲線が生きていない角がR面のみとなっています。
バルコニーと天然木パネル
直線が入ると曲線のデザインの魅力がなくなる事が良くわかりました。(2018.2.16)
建物の中に入れませんでしたが、インナーの写真を見つけましたので添付しておきます。
ホール ライン状の照明はザハらしいです
吹抜けのある5LDKのかなり高級な住宅だと思われます。(2018.2.17)
ザハ・ハディットの集合住宅と反対側にポーランド生まれのアメリカ人建築家ダニエル・リベスキンドの集合住宅があります。
ダニエル・リベスキンド (1946年〜)
ダニエル・リベスキンドの集合住宅 (2017.2.18)
建設途中のリベスキンド オフィースタワー (2018.2.19)
リベスキンドのオフィースタワーの近くに磯崎オフィースタワーがあります、ミラノで現在一番高い建物だそうです。
磯崎オフィースタワー (2018.2.20)
つっかい棒で支えられた高層ビルのスケッチは以前磯崎さんのスケッチを見たような記憶があります。
磯崎 新 (1931年〜) (2018.2.21)
この街はまだ建設途中で工事フェンスの向こうに何やら変な建物が。
アメーバーがネギ坊主を侵食しています。(2018.2.22)
紛れもなく磯崎さんと構造の佐々木睦朗さんの作品だと思います。
この流れの最初の作品が岐阜県北方町にある生涯学習センターです。
北方町生涯学習センターきらり
コンピューター解析によってできた形です。(2018.2.23)
佐々木睦朗(1946年〜)
佐々木さんは伊東豊雄とせんだいメディアテーク、妹島和世+西沢立衛のSANNAと金沢21世紀美術館の構造設計をされた、
現在世界でトップクラスの構造家です。(2018.2.24)
近代以後の建築を観て来ましたが、ミラノの近代以前の建築も見ていきましょう。
まずは有名なドゥオ−モです。
ミラノ ドゥオ−モ (地下鉄M1 Duomo駅)
14世紀から建築にとりかかったそうですが、
本格的に建築されたのは1813年ナポレオン・ポナパルトの命によって始まり100年ほどかけて建築されたそうです。(2018.2.25)
白い大理石が天に向かって突き刺さる数多くの棟はゴシック建築の代表として有名です。
棟細部 (2018.2.26)
とても大きなドゥオ−モで写真ではこの大きな空間をお伝え出来ません。
内部 (2018.2.27)
ドゥオ−モの前には大きな広場があり左にはガレリアに入る門があります。
ガレリア門
ガレリアは1877年にイタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニの設計で出来ました、建物と建物の間の空間を覆った鉄とガラスのアーケードです
十字に重なった交差点はドーム状になっていてとてもおしゃれな空間です。(2018.2.28)
ガレリア (2018.3.1)
日本にもアーケードはたくさんあるのですが、この空間を同じアーケードというのは?やはりこれはガレリアですね!
交差部分 (2018.3.2)
ガレリアを通り抜けるとスカラ座に行き着きます。スカラ座の前の広場にはレオナルド・ダビンチの像が建っています。
ダビンチは晩年ミラノで暮らしここで亡くなっています。
レオナルド・ダビンチ像 (2018.3.3)
スカラ座
現在のスカラ座は2代目で1778年新古典主義の建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニのよってデザインされた、
オペラと言えばイタリア、そしてイタリアのオペラと言えばこのスカラ座から多くの歴史が語られます。(2018.3.4)
幕間の一時を楽しむホール (2018.3.5)
劇場内部 (2018.3.6)
レオナルド・ダビンチが晩年残した名作「最後の晩餐」もミラノにあります。
見学には予約が必要になります。
「最後の晩餐」予約案内
サンタ・マリア・デッレグラツィエ教会 (1469年) この教会の左白い建物の奥食堂の壁に「最後の晩餐」はあります。(2018.3.7)
丸の多い教会のファサードです (2018.3.8)
先のとがったボールト イスラムの流れが入ってそうです。ビザンチン建築の香りもしますが、案内ではゴシック建築とあります?
中庭 右が教会 左に食堂があります (2018.3.9)
最後の晩餐 見学の様子 写真は撮れるのですが、フラッシュはダメ でもフラッシュたく人が多く
「NO FLASH!」と案内の方が何回も怒鳴っていました。(2018.3.10)
一点透視図の焦点がイエスになっています
イエス部分の詳細
この壁画は1977年〜1999年まで修復されたおかげで良く見られる状態になっています。(2018.3.11)
次はミラノの城 スフォルツァ城 を見ていきましょう、ここは晩年のレオナルドダビンチや、ミケランジェロの最後の作品もあるその当時の名残を伺うことが
出来る場所です。
スフォルツァ城(1358年〜1370年) (2018.3.12)
現在でもかなり広いのですが、最盛期の1/4だそうで、その当時の権力の壮大さがうかがえます。
至る所に回廊と中庭があって回廊の列柱はとても綺麗です。(2018.3.13)
レンガ造で細部もとても緻密でこの庇の左官の技術には感心しました。(2018.3.14)
ミケランジェロの最後の作品「ピエタ」 荒削りのピエタで ミケランジェロの初期の作品でローマのサンピエトロ寺院にある「ピエタ」とは随分違っています。
サンピエトロ寺院のピエタ
十字架から降ろされたイエスを抱いて悼むマリアの像なのだが、最後のピエタは母を背負ったイエスの様な像に見える。
ミケランジェロは「母を背負って天国に行く」夢を持っていたのかもしれません。(2018.3.15)
現在場内は美術館と博物館になっていて城の内部でたぶん井戸のあった中庭だと思われますが、小さな噴水があって気持ちの良いスペースになっていました。(2018.3.16)
建物のつなぎ部分より城門側を見る (2018.3.17)
次はミラノが州都になっているロンバルディア州で最古の聖堂、バジリカ、サンアンブロージョ聖堂(地下鉄 M2 S.Ambrogio駅)に行きます。
バジリカ、サンアンブロージョ聖堂 (386年〜13世紀)
カトリック教会ですが、教会の前に回廊があります。レンガ造のロマネスク建築です。(2018.3.18)
細長い回廊でこのタイプの教会は初めて見ます。(2018.3.19)
一部リブボールトになっていますのでゴシックに移行する時期も経ているようです。(2018.3.20)
内部 バジリカのスタイルがしっかりした教会です。(2018.3.21)
ロマネスクのアーチですが、どこかイスタンブールで見たビザンチンの教会の雰囲気もあるように思います。
あまり有名ではないが、もっと見ていただきたい教会です。(2018.3.22)
ミラノにはレオナルドダビンチに関するものが多くあります、中でもレオナルドダビンチ国立科学技術博物館には多くの模型や資料そして付随させた
乗り物などを集めたとても大きな博物館になっています。
レオナルドダビンチ国立科学技術博物館 (地下鉄M2 S.Ambrogio駅)
ルネッサンス様式の古い建物から入りますが、中はとても広くなっています。(2018.3.23)
内部階段(2018.3.24)
中庭(2018.3.25)
ダビンチが空を飛ぶ夢を形にした飛行機の原型(2018.3.26)
跳ね橋の模型(2018.3.27)
船、機関車、飛行機などの乗り物の博物コーナー
とても広いので真剣に観て廻りますととても疲れます。(2018.3.28)
ミラノのお薦めの美術館は
ブレア絵画館(地下鉄M2 Lanza駅)です。
街の中心でスフォルツア城の近くにあります。
入り口は意外に小さくて見付けにくく通り過ぎてします。(2018.3.29)
しかし内部はとても広い美術館です。
入り口を入ってすぐに回廊の中庭があります。
この列柱は修道院などの建物によくある形ですが、やはりこの建物は17世紀に建てられたイエスズ会の建物でした。
1772年にウイーンに銅像のあったハクスプルグの女帝マリア・テレジアが買い求め美術アカデミーとして絵画を集め、
その後ナポレオンによって美術館とされた歴史を持っています。(2018.3.30)
展示室
ラファエロの「マリアの結婚」を観ることができます。(2018.3.31)
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