建築 雑コラム 23
Architecture The s Column
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(2015.1.1)
突然、
印籠のパルテノン神殿、 どうしたのだ? と思われる方も多いと思われますが。
昨年5月に印籠を確かめるためにアテネに行ってきました。(2015.1.2)
今年はこのアテネ・イスタンブールの旅からコラムを始めようと思います。
アテネはギリシャ共和国の首都で人口80万人となっていますが、市域外に都市は拡大して、都市的地域人口では300万人と言われます。
大きさの感覚で言えば名古屋に近い大きさの都市の感じと思います。(2015.1.3)
ギリシャ共和国地図(2015.1.4)
島の点在するエーゲ海をCの字に囲んだギリシャは、エーゲ海の対岸にはアジア大陸の最西端トルコがあり、北はブルガリア、マケドニアなどの東欧
西のイオニア海の対岸にはイタリア半島の靴の底が見える位置にある。
アテネはギリシャ共和国の中央の位置にあって地中海交易の地の利を持った場所です。(2015.1.5)
ギリシャの歴史は古代から続く長い歴史に感じますが、1832年にオスマントルコから独立したギリシャ王国によって初めて国とみとめられ、それ以前は
紀元前30年にローマに支配されその後ビザンツ帝国、オスマントルコの支配する長い歴史があります。
ギリシャが輝いたのは紀元前700年頃から貴族市民を中心とする都市国家「ポリス」が発生してアテナイ、スパルタ、テーナイなど100以上のポリスが
あったといわれる。(ギリシャと言われる都市国家はなかった)(2015.1.6)
紀元前338年〜323年のアレクサンダー大王時代にペルシャ、エジプトまで拡大した時をピークにアレクサンダー大王の亡くなった後は衰退し
紀元前30年にローマ帝国の支配下となる。
ギリシャ語を話す人々がアイデンティティーとなって1832年のギリシャ王国独立となるがアメリカ合衆国より50年も新しい国家なのは意外でした。
(2015.1.7)
しかし紀元前のその輝けるポリスの時代が素晴らしく、哲学者ソクラテス、プラトン、数学者アルキメデス、ピタゴラス、医学ベダニュウス・ディオスコリデス、
ヒポクラテスなど現代でも良く知っている著名人が2050年以上前に暮らしていた場所なのです。
それでは早速アクロポリスから古代ギリシャの建築をご紹介します。(2015.1.8)
アクロポリス(地下鉄Akropolis駅)はアテナイ(アテネ)の東の「丘の上にある城(ポリス)」で初めは城塞として使われていた
その後木造のパルテノン神殿が建てられたがペルシャ戦争で焼失した(BC480年)、
その後建築家イクティノスとカリクラテス、彫刻家ベイディアスによってBC432年に現在の大理石の神殿が竣工した。
初期の城塞のアクアポリスの模型(2015.1.9)
木造のパルテノン神殿時代の模型(2015.1.10)
私が想像していた通り、
パルテノンは木造の形態でそれを大理石に置き換えたものでした。
BC300年頃(2300年前)の模型(2015.1.11)
アクアポリスにはパルテノン神殿(写真中央)、エレクティオン神殿(写真左前)、前門プロピアレ(写真右前)、アテナ・ニケ神殿(写真右奥)など
多くの神殿や建物が石の丘の上に建てられていてその最盛期の豪華さは柱のみ残る現在からも想像できる。
南の擁壁は20m以上あり、その当時の土木技術のレベルの高さを感じる事が出来ます。(2015.1.12)
南擁壁(2015.1.13)
その当時南擁壁前にイロディ・アティコス音楽堂とディオニス劇場がありました。
左前にイロディ・アティコス音楽堂 右前にディオニス劇場(2015.1.14)
音楽や演劇などが盛んに行われていて多くの市民が楽しんだ様子は2300年後の現在とさほど変わりはない。
イロディ・アティコス音楽堂 遺跡(2015.1.15)
ディオニス劇場 遺跡(2015.1.16)
ディオニス劇場 名前の彫られた座席(2015.1.17)
ローマ時代の広域な模型を見てみますと
ローマ時代の広域模型(2015.1.18)
アクアポリス(写真中央左上)を囲って街が広がっています、アクアポリスの左上にはギリシャ時代の中心地古代アゴラがあります、
アクアポリスの右方向に広がった街はローマ時代に盛んであった街並みです。
アクアポリスの南東にはゼウス神殿(模型では中央の白い四角い建物)がありますが、実際は建設途中で放棄された遺跡があります。
ゼウス神殿の左右から街を囲む城壁が見受けられます。(2015.1.19)
さらに南西にはオリンピックの起源となる競技場があります。
さてアクアポリスに登っていくと最初にローマ時代に建てられた防御用のブーレの門から入る事になります。
ブーレの門 入口は意外に狭く門扉が付いていたと思われます。(2015.1.20)
さらに入って階段を上ると正面にプロピレア(前門)があり手前右にアテネ・ニケ神殿、左にアグリッパの台座がそびえます。
左の台座がアグリッパの台座 中央の列柱がプロピレア(前門) アテネ・ニケ神殿 (2015.1.21)
アグリッパの台座の上にはかってはあのアグリッパの大きな像があったのでしょう。
この写真の右にアテネ・ニケ神殿がそびえ立ちます。現在は工事中でした。
左右に続く長い階段を上って中央のプロピレア(前門)から入ります。
プロピレア、パルテノンらしい大理石の縦リブの柱(2015.1.22)
プロピレアをぬけると、アクアポリスの高台に達し、右前方に工事中のパルテノン神殿の西面が見えます。
工事中のパルテノン神殿西面(あまりこちらの写真は観ないのでまだパルテノンらしく感じない)(2015.1.23)
現在修復工事中でまだ当分続くようだ。北面は工事が終わっていてパルテノンらしい形が見える。
工事の終わっている北面列柱、東面の写真のイメージが一般的(20151.24)
列柱の柱間隔(スパン)に注目して下さい、両端の端部の柱間隔は他の柱間隔より狭くなっています。(2015.1.25)
私の記憶では
唐招提寺の柱の様に中央から外の向って順に狭くなっていると思いましたが、私の眼ではパルテノンの列柱は両端の柱間隔のみ狭くて
他の柱間隔は均等に見えました。(2015.1.26)
パルテノン南東面 大きく破損された南面
南面の中央は大きく破損されています。(2015.1.27)
パルテノンはローマ征服の6世紀にはキリスト教の教会に中央部分が造り直されました。
またオスマントルコ時代は同じく中央をモスクに造り直されミナレット(搭)もあったそうです。
1687年にベネチア共和国が南の海からその当時火薬庫として使われていたパルテノン神殿を攻撃し爆発が起こり南面を中心に大きく破損した。
(私の好きな街ベネチアですが、交易の街でアテネもエーゲ海の交易の街で利権が絡むことがあったのでしょう)(2015.1.28)
神殿から焼け残った彫刻はイギリスの大英博物館に現在もパルテノン特別室で展示されている。
(ギリシャは返還要求しているがイギリスは返さない)
大英博物館 パルテノン特別室(201.1.29)
そう見てくると印籠であるパルテノンであるのですが、ボコボコ、ズタズタ、な歴史でやっと修復して復旧し始めているのが現状のようだ。
で!印籠の感想は? コルビュジェの様に感動したか?
私は「イメージしていたものとほとんど変わらなかった」のが感想ですが、
ギリシャ時代の彫刻やその他の建物でも感じたのですが
「プロポーションが良い!」のです。 何を見ても! (2015.1.30)
アクアポリスにはもう一つ特徴のある建物があります。
6体の女性像が柱になっているエレクティオンです。
エレクティオン(2015.1.31)
アクアポリスの丘の北西にギリシャ時代の都市アテネの中心であった場所が古代アゴラと言われる場所で、かのソクラテスやプラトン、アリストテレスが
居た場所がある。
現状の古代アゴラ中心部 (これだけではその当時をイメージできない)(2015.2.1)
古代アゴラの復元模型 右上の列柱の建物が現代復元された古代アゴラ博物館、左上の神殿がヘファイストス神殿
復元模型を見ると列柱のとてもプロポーションの良い建物群が配置されたその当時の街の様子が分かる。(2015.2.2)
中央の建物がアグリッパの音楽堂でその柱が現状写真に残っている柱(写真中央)だそうです。
2500年前に1000人入る大きなホールがあったのですね! どんな音楽を聴いていたか興味がわきます。
模型写真右上の列柱の建物がアタロスの柱廊と呼ばれていて、その建物を復元して現在古代アゴラ博物館としてギリシャ時代の器、彫刻、などが
展示されている。
古代アゴラ博物館(ギリシャ時代の建物、アタロスノ柱廊を復元した建物)(2015.2.3)
外観 1階の柱廊と2階のバルコニーのバランスが絶妙 1階の柱廊 2階床梁は木造で木と大理石の混構造となっている。
(なぜか気持ちの良い空間でした)(2015.2.4)
2階バルコニー 柱頭の建築様式(オーダー) かなり装飾的なイオニア式オーダー(2015.2.5)
建築関係の方は建築史で最初に出て来るのでご存じだと思いますが、印籠の列柱の建築様式(オーダー)には3種類あって
パルテノンの様な柱頭をドーリア式と言い最もシンプルな形で、柱の上に台座があってその上に梁が載る(木造の名残が残っている様な)
パルテノンの柱頭 ドーリア式のオーダー(2015.2.6)
同じアクアポリスにあるエレクティオンの柱頭は イオニア式の柱頭で、柱頭の両脇に渦巻の装飾があります。
エレクティオン イオニア式のオーダー(2015.2.7)
この後出てきますゼウス神殿の柱頭は コリント式と言い、アカンサスの葉の装飾が特徴です。
ゼウス神殿 コリント式オーダー
世界中で見られます、印籠の列柱の柱頭を見て下さい、この3つのオーダーが基本で造られています。(建築史のおさらいでした)(2015.2.8)
古代アグラ博物館に戻りましてここにはギリシャのとても素晴らしい彫刻が、並んでいます。今から2500年ほど前の紀元前の彫刻です。
私の気に入った物を紹介します。
女神像 プロポーションが良く衣の襞なども繊細 アフロディテ? 男性のデッサン室にあったような像、石膏ではなく大理石の本物(2015.2.9)
女性の像 私の一番気に入った老人の像 表情と衣の襞がリアルである
前にも書きましたが、ギリシャ時代の物は建物も、彫刻もプロポーションが何故かとても良いと思います。(2015.2.10)
古代アゴラ復元模型の写真の左上にある神殿が現在も残るヘファイストス神殿で屋根部分や、神殿内部壁も残っていて神殿の形が良く分かります。
パルテノン神殿と同時期に建てられたヘファイストス神殿 神殿内部(2015.2.11)
神殿は外周に列柱があり内側にはそれぞれの神を祀る部屋が壁で仕切られています。
パルテノン神殿の平面図
前室の奥に結界の様な部屋があってそれぞれの神の像が祀られた(少し日本の寺の平面構成に似た所もある) (2015.2.12)
パルテノン神殿を中心に北西にヘファイストス神殿があり、南東にゼウス神殿がある、この三つの神殿を結ぶとほぼ直線となる
ゼウス神殿は紀元前515年に着工されたが中断されローマ時代の2世紀に再開されたが完成されることはなかった、
現在は15本の柱しか残っていないが、かっては104本あったそうです。
ゼウス神殿(2015.2.13)
柱の高さはパルテノン神殿より高くコリント式の柱頭も、柱脚そして柱のリブの細工も緻密でさすがゼウスを祀る神殿だったと思われるが、
完成できなかったのはアテネを祀るパルテノン神殿に見下ろされる位置で、全能の神ゼウスの怒りがあったのではと私は勝手に想像しました。
(2015.2.14)
久しぶりのコーヒーブレークで
ギリシャ神話とローマ神話は密接に繋がりがあるそうで、ギリシャ神話のゼウスはローマ神話ではジュピターになり、アテネはミネルバ、
ヘファイストスはバルカン、そしてアフロディテはヴィーナスとなります。(2015.2.15)
アテネの街中でよく見かけるふっくらとした少女を見ていると、アフロディテ像の彫刻、そしてボティチェリのヴィーナスの絵と繋がります。
アテネの少女 アフロディテ像(2015.2.16)
ルネッサンス、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」
こんな想像しているとアフロディテの子供エロスに繋がっていくのでここら辺で建築に戻ります。(2015.2.17)
紀元後のローマの時代の街の中心がローマン・アゴラと言われる地域です。
ローマン・アゴラ 入口の門 (地下鉄Monastiraki駅)(2015.2.18)
風の神の塔 (日時計、水時計、風見に使われていたらしい)(2015.2.19)
ギリシャとローマは違和感なくつながる様に思いますが、床のモザイクタイルを見つけてやはりこれはローマ時代の遺跡だと思いました。
床のモザイクタイル(2015.2.20)
敷地の中に興味深い建物を見つけました。
丸い屋根の連続の建物でイスラムのモスクっぽい建物でした。(2015.2.21)
近くの案内板にはCHURCH(教会)とありましたが、
案内板(2015.2.22)
このプラン特に断面図は丸い半ドームでバットレスの様に外に力を逃がす方法、
聖堂の前の回廊、今回の旅の、この後で見たイスタンブールのモスクの形そっくり、でもこの遺跡の方がイスラムの発生よりも古いのです。
やはりどこかで繋がっているのでしょう。(2015.2.23)
アテネで一番高い丘がリガヴィトスの丘で頂上にはケーブルカーで登る事が出来ます。頂上からアテネ市内を一望できます。
リガヴィトスの丘 頂上の教会(2015.2.24)
頂上からアクアポリス、アテネの街の風景 (2015.2.25)
次にアテネで観た現代建築をご紹介します。
パリのラビレットを設計し、パリに事務所も持ちますベルナール・チュミが設計した
新アクロポリス博物館です。(地下鉄Akropolis駅)
新アクロポリス博物館(2015.2.26)
1階は閉鎖的な空間で、2階に半開放的な展示室、3階はガラスのボックスの展示室が写真の様にずれながら積みあがっています。
この建物の床下では現在も発掘調査が行われていて、遺跡の上に建っています。
遺跡の上に建つ博物館、地下の遺跡が観れる様1階の床は所々ガラス張り
アクロポリスの丘のふもとに建ち、パルテノン神殿とたぶん平行にこの3階はプランされ、
たぶんパルテノン神殿の大きさのガラスのボックスで設計されている、と私は観たが・・・・(2015.2.27)
この3階からのパルテノンの眺めもとても良いのでお勧めです。
新アクロポリス博物館3階からのパルテノン神殿
柱が何故か太くて気になりましたが、ひょっとするとパルテノンの柱の太さに合わせている可能性もあります。
ラビレットではそれほど感心しなかったのですが、ベルナール・チュミの秀作だと思います。(2015.2.28)
次はスペインの
建築家サンティアゴ・カラトラバがアテネオリンピックで設計したメインスタジアム、水泳体育複合建物、自転車競技場です。
(地下鉄L1 Irini駅)
会場エントランスゲート(2015.3.1)
ゲート右ウイング(池、噴水は枯れていた)
2本のアーチから屋根をテンションで引っ張って持たせている、土木出身らしい建物
自転車競技場(2015.3.2)
自転車競技場 カラトラバの建物はディテール部分まできれいにデザインされている。
内部には入れなく窓越しに撮ったのであまりきれいに撮れていませんがリブ梁の様子が良く分かる(2015.3.3)
同じくカラトラバの設計の水泳及び室内体育館の複合施設で立体トラスの屋根が対称的にそれぞれの競技場を覆っています。
構成は理解できますがカラトラバにしては一般的すぎるし、内部空間の殺伐感があriました。
水泳競技場、室内体育館(2015.3.4)
工場や、倉庫の内部の様な殺風景な内部(2015.3.5)
丹下健三の代々木の屋内競技場のプールの空間がいかに素晴らしいか,これと見比べると良く分かります。
そしてその隣にはメインスタジアムとなる主競技場がありカラトラバらしい二本の鉄骨アーチから吊られた屋根の建物です。
アテネオリンピック メインスタジアム主競技場(2015.3.6)
解放型の競技場でスタジアムの屋根を吊っている
屋根を吊ってもたす考えは自転車競技場と同じ発想ですが、カラトラバらしいダイナミックで迫力のある建物です。(2015.3.7)
自転車競技場、水泳・室内競技場、主競技場と同じスタイルの建物が並ぶのを嫌って水泳・室内競技場を立体トラスのあまり主張性のない建物
にした感じがします。
主競技場内部(2015.3.8)
掲示板方向
この建物も、やはり詳細を見れば見るほどデザインされて納まっています。(2015.3.9)
力強く、明快なディテール(2015.3.10)
メインアーチから鳥の羽のように広がるスタジアムの天井、小梁のディテールも繊細でした。
オリンピックスタジアム廻りはあまり利用されてないようで殺伐としていました、オリンピックとはこう言うものなのかと思いました。
長野の宴の後に如何に多くの負債を抱えたか反省する事無く、2020年の東京オリンピックも、ひと時の宴に終わらないよう考えて計画
されていると良いのだが無理だろうな!(2015.3.11)
メインスタジアムのザハ・ハビットの建築 最初から外苑で設定した所に無理があったと思います。
神宮外苑ではなく夢の島あたりで最初の形で私は実現してもらいたいのだが・・・・・。
また今回のオリンピック施設は建築家の建物は少なく、設計施工の施設も多くなっています。
このオリンピックを担当する役所の役人の、「文化や次世代に何を残していくのか」と言う構想が無く、
経済性、安全性、無難に とらわれた傾向が見受けられます。(2015.3.12)
「次世代には欧米の先を行く日本を夢見る」高邁な信念を持った国家公務員、国会議員が必要なのですが育っているのだろうか?
話がそれましたので、ギリシャに戻って、エーゲ海クルーズを楽しみましょう。
エーゲ海の色は濃紺でドイツワインの瓶の色のようでした。(2015.3.13)
最初に行った島はイドラ島で18世紀〜19世紀に海上貿易で成功を収めたイドラ商人の島で、凹型の入江にできた街並みで
放射線状に延びる道は所々に窪みの広場があって、道がそのまま憩いの場所になっているような楽しい空間でした。
イドラ島 凹型の入江にできた街並み (ル・コルビュジェが影響を受けたエーゲ海の白い家の集落)(2015.3.14)
港べりの路地風景中央は教会の塔 教会中庭 地中海、スペイン風の教会でした。(2015.3.15)
窪みや、日影があって道が生活空間となっている、この島は水が無く、水を他の島から供給する、ロバが瓶を運んでいる風景もこの島ではならの物。
この島は芸術性が高い島で島のいたる所にある観光小物店はお洒落なセンスのお土産が多くありました。(2015.3.16)
道もお店も一緒の空間、また窓から生えた植物もおもしろい。(2015.3.17)
次の島はボロス島で凸型の岬にできた街で道は海岸線に平行した道がメインでそれに直行する階段状の細い道が所々にあります。
ボロス島の凸型の岬の街(2015.3.18)
海岸線に平行した街並み(2015.3.19)
次はエギナ島でこの島にはBC6〜5世紀にかけて建てられたアフェア神殿がある。
大きな島のエギナ島(アテネに一番近い島)だが白いエーゲ海の島の建物は少ない様に思われる。(2015.3.20)
アフェア神殿
アフェア神殿とパルテノン神殿とポセイドン神殿を結ぶと正三角形になると言われています。(2015.3.21)
神殿として意味がある配置だと思われます。または航海をするうえで灯台の様な目印となる使われ方をしていたのかも知れません。
エーゲ海クルーズからアテネに帰ってくるとエーゲ海からのパルテノン神殿が見えました。
海から見るパルテノン神殿はかなり高地にあってはっきり把握できます。
中央少し左が海から見たパルテノン神殿、中央右の高い丘がリガヴィトスの丘(2015.3.22)
最近ギリシャの経済危機がマスコミで報道されます、EUにとって大きな問題でもあって、最悪ギリシャがEU離脱となる可能性もあります。
そもそもギリシャの経済危機の元凶は公務員の人口が多く25%以上を占めていて、税金の大半が公務員の給料に費やされています。
中でも警察官の数が多いと聞いていましたが、アテネの街中でも4,5人の白バイの警察官が街中で雑談している風景をよく見ました。
EUは支援の延期を4か月伸ばしましたが、ギリシャが公務員改革を本気でするか?、緊縮財政を嫌っていますが、
それに代わる経済政策をとれるかにかかってきていると思います。(2015.3.23)
EUにとってはギリシャのみでなくスペイン、イタリアと財政破綻寸前の国が控えていて大きな曲がり角に来ている事はいがめません。
財政破綻では我が国日本もギリシャ以上で負けてはいません、(日本は世界で一番債務の多い国です、外国からの債務が少ないので、
ギリシャの様に債務国として海外では問題とされませんが、日本がデフォルトとなった場合は日本国民の貯蓄、年金は無くなってしまうでしょう)
また公務員天国と言われ、
サラリーマンの平均年収が450万であるのに
国家公務員の平均年収は660万、
地方公務員で多い所では730万となっています。
また、天下り制度で関連企業へ多くの税金が費やされています。
ギリシャを笑えない状況は日本にも深刻にあるのです。一方、同じく公務員の多い北欧の国では公務員の給料、年金は一般国民の平均以下に
コントロールされているそうです。
日本も北欧並みの成熟社会に変わっていけるといいのですが!
現状ではアメリカ社会を目指している様で格差社会、マネーゲームの国になっていくのでしょう。
それがいつまで続けれるかが、私は心配ですが!
アテネからイスタンブールに移動します。(2015.3.24)
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